かつて、ヤマハから、YIS(ワイズ)というホームコンピュータが発売されていました。ヤマハのパソコンでYISというとMSXを思い出す人の方がほとんどだと思いますが、そのYISではありません。
[2016/01/11補足:実機に触れる機会がありました→YAMAHA YISの実機写真]
まずは、RAM誌1982年6月号の広告をみてもらいましょう。
右下にあるのがYISです。最初にこの広告を見た時に、あのYAMAHAがMSXよりも前にマイコンを出していたという事への驚きと、木目調の家具に収まっている不思議さから、さっそくネットで検索してみたのですが、ネット上ではYISの資料をみかけることがほとんどできませんでした。となると、当時の書籍をあたるのが手っ取り早いというか、個人レベルではそれ以外に情報収集手段がないわけですが、国会図書館などなどで色々と調べてみると、これがまた魅力的なマシンだというのがわかってきたのです。
※以下の内容はラジオ技術やマイコン、I/Oなどからの抜粋引用となります。発売前の配布資料から実際の発売時には仕様が変更されていたり、周辺機器の発売が中止になったり、そもそも参考にした書籍の内容が間違っているということが充分にありえますので、その点はご注意ください。・・・と、いう、断り書きをしないといけないくらいにYISの情報は少なく確証が持てないのです。どこかにマニュアルが残っているのであれば見てみたいですし、可能であれば実機の回路を調べてみたいマシンです、誰かチョーダイ。
■ YISってなに?
そもそもYISという言葉は、ヤマハの家庭内の機器を一括して管理するシステムを指す名称(総称?)として使われていたようで、マイコン本体(他の機種に例えるとPC-8001やFM-8)の品名や型番を意味するものでは無かったようです。YISはYAMAHA Integrated Systemの略で、それがそのまま商品群の名称として使われたということになります。
ちなみに、最初のYISが発売された1982年の時点では、YAMAHAの社名は「日本楽器製造株式会社」で、ヤマハ(YAMAHA)はブランド名でした。
YISというシステムがどのように使われることを想定していたのかは、当時の関係者の方に聞かないとわかりません。システムの規模や販売価格からは、ビジネス用途のマイコンに分類されそうですが、初期の広告や、周辺機器群、当時の雑誌記事から想像すると、家庭内での利用を想定して開発されたシステムのように思えます。
YISはマイコン本体を中心としたシステムです。PCエンジンでいうところのコア構想みたいなイメージですが、それよりも思想は広く、玄関のドアに設置されたカメラ、家庭内の風呂や空調などの電気機器を制御を行うホームオートメーションシステムのようです。パソコンで家庭内の電気機器を一括制御する思想は、2014年の時点でも一般家庭ではそれほど普及していませんから、1982年の時点ではあまりにも早すぎる構想ですが、それを他社に先駆けて実現しようとしていたヤマハはさすがだと思います。
YISは1981年12月7日に発表・記者会見が行われ、同年12月12日には有楽町にYISショップ銀座をオープンしました。実機の発売は翌年1982年の1月を予定していましたが、YISの核となる最初のマイコン本体であるPU-1-10は2月に、PU-1-20の発売は5月にずれ込んだようです。
各マイコン誌には、1982年2月号、つまり、1月頃に発売された雑誌に広告が掲載され、それから1年ほど継続して広告が掲載されていましたが、その間、各社マイコン雑誌で取り上げられることはそれほどなく、発売から一年後には広告掲載も途絶えてしまいました。この辺から初代YISがどうなったのかは辿れていません。
YISの販売は、YISショップ、直営店、ヤマハ月販、楽器ディーラから行われる予定でしたが、実際には国内6店舗のYISショップと、5店舗の日本楽器店YISコーナーのみで、秋葉原のマイコンショップや電気店では取扱いがなかったようです。なぜこのような販売形式をとったのかはわかりませんが、1981年から1982年にかけては、FM-8やFM-7、X1、PC-8801、PC-9801といったメジャー機となったホビー向けのマイコンが発売された時期で、コンパクトでスタイリッシュなデザインと低価格なマイコンが市場を広げていった競争の激しい時代だった事を考えると、機能は優れていても、販売網の小ささ、デザイン、価格面でYISが一般家庭用として生き残るのは厳しかった事が想像できます。
また、YISの思想は、個人向けマイコンというよりも、家庭内全てを管理できるシステムを想定していたようにも思えますが、それを実現するには何もかもが早すぎたのだと思います。
機器のサービスメンテは直営のヤマハ電気音響サービスが担当していました。
■ 本体仕様
PU-1-10とPU-1-20の2種類の本体がありました。それぞれの違いを大雑把に説明すると、PU-1-20はグラフィック機能が強化されたモデルです。また、PU-1-20のメモリを増設したPU-1-20Eというモデルもあったようです(PU-1-20Eの価格は890,000円)。
PU-1-10 | PU-1-20 | |
---|---|---|
CPU | YM-2002(6502拡張) | |
ROM | 4KByte | |
RAM | 64KByte | |
DISK | 片面倍密度倍トラック328KByte 2台 | |
テキスト | 後述 | |
グラフィック | なし | 後述 |
対応ディスプレイ(別売) | GM-1 | GM-2 |
拡張スロット | 7(3枚装着済) | 7(内4枚装着済) |
RS-232C | 75~9600baud ×2 | |
価格 | 527,000円 | 810,000円 |
本体以外の、キーボード、ディスプレイなどは全て別売となっていました。キーボードまでが別売りというのは珍しいのですが、提供されていたキーボードが2種類あり、いずれかを選択して購入できるようになっていました。
キーボードはKB-1と、廉価版のKB-2があり、漢字/カナ/グラフ文字入力ができるフルキーボード部、テンキー部、12個のファンクションキー部、カーソルキーなど合計83個のキーで構成されています。KB-1は当時の一般的なキーボード(NEC PC-8001等と同じようなストロークのあるタイプ)であるのに対して、KB-2はキーの数は同じですが、タッチタイプになっていました。
その他の周辺機器は、YIS発表時の広告に写真が載っています。
本体/周辺機器価格表(この表の全ての周辺機器が実際に発売されたかどうかは不明)がこちら。
商品名 | 品番 | 価格(円) |
---|---|---|
ビデオディスプレイ | GM-1 | 330,000 |
グラフィックディスプレイ | GM-2 | 286,000 |
キーボード(ストロークキー) | KB-1 | 39,000 |
キーボード(タッチキー) | KB-2 | 49,000 |
ドットインパクトプリンタ | PN-1 | 150,000 |
ディスプレイ台枠 | GM-1ST | 2,000 |
ピアノプレイヤーコントロールユニット | PC-1 | 180,000 |
ピアノプレイヤードライブユニット | PL-1 | 150,000 |
ピアノプレイヤー(PC-1,PL-1セット) | 330,000 | |
フレックスメモリ(フロッピーディスク) | FD-1 | 2,400 |
ミュージックキーボード | MK-1 | 49,000 |
ミュージックボード | PU-1BM | 155,000 |
ピアノインタフェースボード | PU-1BP | 60,000 |
YISディスク | DC-1 | 96,000 |
YISワゴン | DW-1 | 28,000 |
YISシステムファニチャ ウォールナット/チーク | SC-1W/SC-1T | 291,000 |
YISシステムファニチャ用側板 ウォールナット/チーク | SC-1WS/SC-1TS | 9,000 |
YISシステムファニチャ用ファンユニット | SC-1FU | 10,000 |
ピアノプレイヤー用フットスイッチ | KF-1 | 3,000 |
PU-1-20シリーズ(PU-1-20,GM-2,KB-1,PN-1,GM-1STセット) | 1,287,000 | |
PU-1-10シリーズ(PU-1-10,GM-1,KB-1,PN-1,GM-1STセット) | 1,048,000 |
■ CPU
CPUは6502を拡張したと言われている、YAMAHAが開発したYM-2002を搭載しています。具体的にどこがどう拡張されているのかは不明です。WikipediaのMOS 6502には、
ゼロページが2ページあり、Z80の表レジスタ、裏レジスタのように切り替えられる。
と書かれていますが確認はとれていません。
CPUクロックは、当時の資料によって数値が違っていて、発売前の資料では2MHzとなっていますが、半年ほど後の資料では1.8MHzという記述もあり、どちらが正しいのか不明です。
■ メモリ
メモリはROMが4KByte、RAMが64KByteでした。4KByteのROMは起動用ですが、ここには基本的なルーチン(BIOS?)も含まれていたようです。PU-1-20には、更に上位機種としてPU-1-20Eというモデルがあり、搭載されているRAMが128KByteでした。64Byteを超えるメモリは6502(YM-2002)からはフラットにアクセスできないため、バンク切り替えが必要になりますが、OS/BASICレベルではバンク切り替えはサポートされていなかったようです。
BASIC起動時でのメモリマップはこのようになっていたようです。この通りだとすると、BOOT ROM領域がRAMと重なっていてRAMが4KByteほど無駄になってしまうので、おそらく何かしらのROM/RAM切り換え機構が用意されているか、ROMの内容がRAMにコピーされているのだと思われます。
■ 拡張スロット
本体の拡張スロットはPU-1-10、PU-1-20共に7つでしたが、ここにCPUやグラフィックボードが装着された状態になっています。つまり、CPUボード自体を交換できるような設計になっていたというわけです。
CPUボードには、バッテリーバックアップ機能付のカレンダークロックと、演算処理用に数値演算プロセッサ(APU…Arithmetic Processing Unit)の9511(9511Aタイプの可能性もあり)が搭載されていて、各種演算処理に利用されました。BASICからは9511を使っていませんでしたが、I/O命令を通してアクセス可能になっています。9511についてはIC collectionに詳しい説明があります。
9511については、資料によって9511Aであったり、PU-1-20にのみ搭載されていると記載されているものもあり、はっきりしません。それだとPU-1-10とPU-1-20のCPUボードの違いは9511の有無ということになります。→PU-1-20実機を調べる機会があり、確認してみたのですが9511Aが搭載されていました。
PU-1-20には、CPUボード、フロッピーディスクコントロールボード、DDAボード、グラフィックボードの計4枚が装着されていました。PU-1-10ではDDAボードとグラフィックボードが無く、その代わりにCAPボード(後述)が装着されていましたので、PU-1-10の方が空きスロットが1つだけ多くなっています。
このように、PU-1-10とPU-1-20はボードの構成が違うだけでしたので、ボードの差し替えでPU-1-10をPU-1-20と同等品にすることが出来るように作られていました。
システム全体の構成はこの図のようになります。
■ グラフィック
PU-1-10とPU-1-20の最も大きな違いはグラフィック機能です。
PU-1-10に搭載されていたCAPボードは、キャラクタベースの表示機能があり、80×25行か64×27行で8色のカラー出力が可能でした。CAPボード上には、CPUボードと同じYM-2002が搭載されていて、メインCPUとは別に画面制御を行っていました。外部からの映像入力を重ね合わせたり、部分的に消去するといった制御も可能になっていたようですが、これらの機能を実現するために、別売の専用モニタであるGM-1が必要でした。
GM-1には、RGB入力とNTSCコンポジット入力端子がありましたので、CAPボード上で映像を重ねていたのではなく、GM-1内で合成して表示していたのではないかと思われますが、このあたりの仕様は不明です。
YIS発表時には、アートビジョンディスクプレイヤーという、VHD方式のドライブが発売予定に入っていました。
PU-1-10の映像合成機能は、このVHDプレイヤーからの映像と重ねるようなコンテンツも想定していたのかもしれません。
アートビジョンディスクプレイヤーは、リモコン付きの普及機DP-2と、多機能機DP-1が発売予定で、YAMAHAもVHDグループに参入していました。ただ、VHDが実際の発売されたのは1983年に入ってからで、さらに、VHDはランダムアクセス可能という特性がありましたが、ディスクの読み取りは読み取りセンサーとディスクが接触するため、同じ位置を再生・停止するとディスクの特定箇所が破損しやすく、パソコンでの用途とは相性が悪いという問題もあり、発売は遅れたようです。実際に発売されたのかどうか怪しいのですが、可哀想なモノたち博物館で、実物の写真を見ることができます。
一方、PU-1-20のグラフィック機能は、当時の他社マイコンをはるかに上回る性能を持っていました。単純な数字だけでみると、512×384ドット/256色中8色/ドット毎に色指定可という、他の8bitマイコンよりも解像度が高いかなという程度なのですが、グラフィックボードが持つ描画機能は他社の8bitマイコンにはないものばかりでした。
グラフィックボードのコントローラにはZiogの16bit CPU Z8001が使われていました。また、CPU周りにはROM32KByte、RAM32KByte、データ用RAM128KByteがあり、グラフィックボードの基本性能はPU-1本体を上回るものになっています。データ用RAM128KByteはディスクから読み込んだ漢字や記号のフォントデータを格納しておく領域として利用されます。資料によると、漢字などのフォントは拡大縮小回転しても綺麗に表示された、という記述がありますから、フォントデータはベクタデータとして持っていたように思えます。
このように、ボード自体が16Bitマイコンとして機能していますから、他社8bitマイコンとYISを比較できるものではありませんし、そもそも販売価格が桁違いですから、YISのメインCPUが6502ベースとはいえ、8bitマイコンに分類してはいけないのかもしれません。
このグラフィックボード自体には、VRAMが搭載されておらず、映像出力機能もありません。それらはPU-1-20にグラフィックボードと共に搭載されるDDAボード側が描画周りの処理を請け負うという作りになっています。
DDAボードは、その名の通り、DDA(Digital Differential Analyzer)を処理するためのボードです。DDA処理は1981年11月にYAMAHAが発表したSIT(静電誘導トランジスタ)を使った独自開発のLSIによりハードウェア実装されていて、演算結果を元に、DDAボード上のVRAMに描画を行います。DDAはボード上のLSIで処理されるので高速な描画が可能でした。DDAの演算が当時の資料でベクタ演算、ベクタジェネレータといった用語で表現されたからか、YISがベクタースキャンディスプレイだという勘違いもあるようですが、表示方式はVRAMを順次走査するものですし、専用ディスプレイGM-2もスキャンラインによる表示です。
DDAボードのVRAMは96KByteで実解像度は512×512の3プレーンになっています。表示領域は512×384で、RGBは8:8:4の256段階から任意の8色を選択してパレット表示が出来るようになっています(blueが4bitなのはタイプミスではありません)。DDAボードにはテキスト表示機能もあり、グラフィック面と重ねて表示できるようになっているほか、ライトペン用のインタフェースも用意されていました。
■ ディスクドライブ(フレックスメモリドライブ)
PU-1-10/20は、フロッピーディスクコントロールボードを通して、ミニフロッピーディスクドライブ2台を標準装備しています。片面倍密度倍トラックで328KByteのディスク容量でした。PU-1本体とディスク間のデータのやり取りにはDMAを使います。この頃のYAMAHAは、フロッピーディスクドライブをフレックスメモリドライブ、ディスク(ディスケット)をフレックスメモリと呼んでいたようです。
また、フロッピーディスクコントロールボード上にはRS-232Cポートが2基搭載されていました。ボーレートは75から9600まで変更可能でし、資料によるとハードウェアレベルで切り換えるようになっていたようです。
ディスクのアクセスはYISのOSによって制御されています。プログラムはYISのOSがディスクからメモリに読み込んで実行するクリーンコンピュータ方式でした。
YISのOSはヤマハ独自実装のOS(YISOS?)で、CP/Mに似たものだったようです。OSからはBASICやミニアセンブラ、マシン語デバッグ用ツールであるDDT(Dynamic Debugging Tool)、ファイル操作ユーティリティPIP(Peripheral Interchange Program)などが起動できるようになっていました。OSのコマンドは下記の通りです。
- [コマンド]
- MASM BASIC DDT FUNCTION GO IO LOAD SAVE XQT ATTRI MEM RET MON DA
BASICからは!”コマンドを使うことで、OS上のコマンドを実行できるようになっていました。
■ ピアノプレイヤー
YAMAHAのピアノ(当時発売されていたUP-3というピアノ)に、ピアノプレイヤードライブユニット(PL-1)を取り付け、そこにピアノコントロールユニットを接続することで、演奏の記録、再生、連弾、キーやテンポを変えての再生が出来るようになっていました。ドライブユニットは、記録時のキータッチの検出(同時16音まで)、ペダルの検出、再生時のソレノイドによる打鍵をするもので、これらをコントロールユニットによって制御します。コントロールユニットにはフロッピーディスクドライブが内蔵されていて、記録を残しておくことができるようになっていました。
これらの動作はYISがなくても出来るのですが、YISに接続することで、ディスプレイに譜面を表示し、譜面に沿って演奏したり、マイコン側のキーボードから曲データの入力・編集をしたり、譜面をプリントアウト出来るようになるというものです。
また、ピアノだけでなく、YAMAHAのエレクトーン用のコントロールユニットも発売されていたようです。
■ シンセサイザ(ミュージック)ボード
PU-1-10/20にはサウンド再生機能はないようです。BASICにはBEEPとSOUND命令があるので、単音での音を出す機能が搭載されていたのかもしれませんが、本体だけでは曲を演奏するようなことはできなかったようです。
@Kenzoo6601さんから、2.5オクターブ単音のサウンド機能があるという情報を頂きました。
予定では、空きスロットに差し込むタイプのミュージックボードの発売されることになっていました。これが実際に発売されたのかどうかは不明です。当初の仕様では、49鍵のキーボードが接続可能で、単音14音色、8音6音色によるFM音源(YAMAHA CE20と同等品)というものでしたが、キーボード側に音源が入っていたのか、ボードに音源を搭載していたのか(する予定だったのか)も不明です。
■ プリンタ
専用プリンタはドットインパクトプリンタで、1文字9×9ドット、1行80文字、印刷速度は120文字/秒、グラフィックの印刷も可能でした。
■ アイカメラユニット
玄関にカメラを取り付けてYISに画像データを送り、フロッピーディスクに記録するというものです。専用カメラとインタフェースの発売が予定されていましたが、実際に発売されたかどうかは不明です。
■ ソフトウェア
資料によると、本体の発売と同時に30タイトル・160本のプログラムと、ピアノプレイヤー用の曲データ80タイトル・500曲が提供されたようですが、これらもまた実際に発売されたかどうか不明です。マクロアセンブラやPascal、ワープロなどのビジネスソフトなども発売予定に入っていました。資料には麻雀ゲームの画面写真が掲載されていました。
■ YIS BASIC
PU-1本体にはYIS OSから実行されるYIS BASICが付属していましたが、本体発売当初はPU-1-10用のBASICのみで、後にPU-1-20のグラフィック機能を扱えるしたBASICが発売されたようです。命令体系はMicrosoft BASICに似ていますが、ヤマハが独自に開発したようです。
- [コマンド]
- CLEAR CONT DELETE EDIT LIST LIST#4 MAXFILES NEW RENUM RUN RUN”" TRON TROFF ASAVE MERGECALL DEF FN DIM END FOR NEXT GOSUB RETURN GOTO IF~THEN~ELSE LET ON~GOSUB(GOTO)
RANDOMIZE READ DATA RESTORE STOP POKE INPUT PRINT USINGPRINT#4 LINE INPUT(#) OPEN# CLOSE READ# WRITE# CLS COLOR CONSOLE CURSOR LOCATE SCROLL FILL BEEP SOUND - [関数]
- ABS ATN COS EXP INT LOG RND SGN SIN SQR TAN ASC CHR$ INKEY$ LEN RIGHT$ LEFT$ MID$ STR$ VAL DATE$ FRE PEEK POS SCREEN SPC TAB TIME$ USR VARPTR FILE LOC SIZE
これらの表をみると、グラフィック用のコマンドがありません。この一覧表に記載されている命令群は、初期に提供されたPU-1-10用BASICのものだと思われます(PU-1-10にはグラフィック機能がないので)。
別の資料によると、グラフィックボードを搭載した機種(PU-1-20)では、BASICのGRAPHコマンドを使って、グラフィックボードにコマンドを送るようになっていたようです。GRAPHコマンドの引数は、グラフィック描画のマクロ命令で、
GRAPH “L2 @c100 100 50″
のような形式になります。上記の例であれば、中心100,100に半径50の円を色2番(L2)で描画し、塗りつぶす(@)、という処理になります。図形を描くコマンドには、円、楕円、円弧、四角、多角形、点を打つ、実線破線などの直線、255種類のタイリングペイントと
いった機能があります。また、グラフィック文字も画像として拡大縮小回転指定をして描画する事ができたようです。面白いことに、他のマイコンに搭載されていたBASICでは普通にできたPAINTがなく、描画した図形の内側を塗りつぶすことしか出来ませんでした。
■ PIP
CP/Mに搭載されているPIPと同じような動作をするユーティリティです。下記のコマンドがあり、ディスク内のファイル操作ができるようになっています。
- コマンドリスト
- BACKUP ERASE DIR COPY CV FORMAT RENAME DUMP MENU
■ その後のYIS
アスキー1982年7月号に、PU-10Xという参考出展品の写真が掲載されています。当初のYISよりもコンパクトにまとまったシステムなのがわかります。1982年のマイクロコンピュータショウ’82にYAMAHAも出展していたので、そのレポート記事だと思います。このマシンが発売されたのかどうかは不明です。
その後、YISの名前はMSX YIS-303,503や、ワイズ株式会社という社名として引き継がれていきました。
おおお、YISの事をまとめた記事を読めるとは思いもしませんでした。感謝感激です。
YISってパソコン雑誌に広告が掲載されていたにもかかわらず、電気店街でも情報が得られないナゾの存在だったですから…
グラフィックに関して、記事中に「資料によると、漢字などのフォントは拡大縮小回転しても綺麗に表示された、という記述がありますから、フォントデータはベクタデータとして持っていたように思えます。」とありますが、DDAボードが描画を担当していたということなので、ベクタデータで確定して良いのではないかと思います。
DDAはS/WかH/Wかの区別なく、BASICコマンドのLINEとかCIRCLEのアルゴリズムそのものですし。
となると、グラフィックボードのZ8001は何をしてたのかと言う疑問が沸くのですが(笑)
>>Thunderboltさん
BASICからグラフィックを描かせる場合、グラフィックマクロコマンドを使うのですが、そのコマンド文字列をそのままZ8001に送り、Z8001が構文解析してDDAに演算・描画させるという流れのようです。メインCPUの6502(YM-2002)がユーザインタフェース、Z8001がメインCPU、DDAが今でいうGPU、といった関係ですね。
ちなみにZ8001のマクロ構文処理は甘かったらしく、誤ったマクロコマンドを送ると暴走したそうです(笑)。