「MZ-80 SERIES BASIC解説」のひみつ

 

(このページは同人誌「MZ ENCYCLOPEDIA Vol.10」に掲載した同タイトルの記事に加筆修正したものです)
 

 ちょっと古い話になりますが、日経ソフトウェア誌2001年6月号にて、「プログラミング書籍ベスト90」という特集がありました。「プログラミング言語C(いわゆるK&R)第2版」や「詳解TCP/IP Vol.1新装版」「UNIX原典」「デスマーチ」「独習Java」「人月の神話」「闘うプログラマー」「XPエクストリーム・プログラミング入門」といった並み居るベストセラーに紛れて、なんと「MZ-80 SERIES BASIC解説」(図1)が挙げられていたのです(Part3・5段目の中央)。唯一のパソコン付属マニュアル、唯一の非売品、90冊中最古の書籍、にもかかわらずプログラミングの良書として数えられる一冊。

 この「MZ-80 SERIES BASIC解説」こそ、MZ-80Kの取扱説明書として作成され、MZ-80K2/C以降MZ-1200はもとよりMZ-2000/2200にまで添付された赤本・BASICマニュアルです。当時のユーザの方なら、これを読んでBASICを学ばれたという人も多いのではないでしょうか。その頃からこのマニュアルの評判は際だっていたように思います。

 ここではそのBASICマニュアルの秘密を探ってみたいと思います。

図1◆BASICマニュアル。MZ-80K/Cシリーズにおいて図柄を統一し、シンボルカラーで各ソフトを区別していました。


名作の所以

図2◆「毎秒400万トンずつやせ細る太陽」。下半分のイラストは緒方氏のものです。


 このマニュアル、一言で表現してしまえば「豊富なイラストでBASICの命令やプログラミングを紹介した本」ということになります。そんな本なら、例えば「まんが○○○入門」とかいうようなのがたくさんありましたよね。イラストよりマンガの方が易しく読めると思うのですが…。

目次を見てみると、ページの表題には出ない「(知ってますか?……)」と但し書きされた章が5ページあります。ここには

  • デートの場所は?
  • いま、何どきだ?
  • 宇宙豆事典
  • 毎秒400万トンずつやせ細る太陽(図2)
  • 701,260時間

という、BASICとは直接関係しない内容の、言わば豆知識のような事柄が書かれています。「デートの場所は?」は大仏などの大きさから歩行速度を推定している話、「いま、何どきだ?」は江戸時代や昔の時刻制度の話、「宇宙豆事典」は惑星に関するパラメータや物理公式の話、といずれも数字にまつわる話題を取り上げて、コンピュータが数字を処理する機械であることに因んで読者に数学の興味を沸き立たせようとしているようです。

 その他にも、単利と年利の話や、乱数関数(RND())では6ページも使って動作から使い方・モンテカルロ法・ゲームへの応用を解説したり、数の位の話と大きな定数と小さな定数の話、グラフィック表示の説明では応用としてウサギとキツネの数の増減をシミュレーション表示してみるなど、ここまでくるとマニュアルの枠を超えて数学読本の様相を呈してきますね。


 古い男氏のサイト「『MZ-80 SERIES BASIC解説』書を懐かしむページ」では、このマニュアルの特徴を「『興味深い題材が豊富』で、『愉快なイラストが沢山』あり、かつ『それなりに内容が高度だった』」と表現されています。BASICを懇切丁寧に解説するのも大事だけれども、本当に大事なのはそれをどのように使いこなしていくか。つまり応用を重視して、例題中心に構成した結果ということでしょうか。その一方でこんなマンガも描いてあったりしますが…(図3)。
図3◆アルキメデスが発見したという内角の和についてのお話。マンガの上にプログラム例が載っているので、兵が「文番号」などと言って上を指さしているのです。しかし最後のコマがまぎらわしい。


マニュアルを作った人々
 

 MZ-80Kを開発していたシャープ・部品事業部のメンバーは、そのパソコンの開発に相当燃えていただけでなく、いろいろな方面に博学な人が多かったそうです。かの「アルゴ座」をシンボルマークとして生み出したのも営業ではなく開発メンバー。そしてこのマニュアルも多岐にわたる議論の末、文才のある二人の技術者によって骨子が書かれたといいます。

 まだまだ周知のものとは言えなかったBASIC言語をユーザーにやさしく教えるため、イラストを添えることにしました。ある出版社に相談したところ、紹介されたのが水谷たけ子氏・緒方健二氏でした。

 水谷たけ子氏は京都出身の漫画家。デビューは高校生の頃で、大学卒業後幼稚園の先生を2年勤めたあと漫画家として独立するため上京。あの「トキワ荘」に出入りしていたという時代の人です。楳図かずお氏のデビュー作でも共作という形で関わっています。といっても漫画家としてはあまりパッとしなかった人のようで、めぼしいヒット作品があったわけではありません。が、漫画家の枠を外れてイラストレーターとして活躍するようになってからは工業技術・農業に関する様々な著作に携わり、数多くの書籍に足跡を残すことになります。

 緒方健二氏は大学卒業後富士通に入社。1970年に退職後株式会社SPCを設立します。SPCは科学技術に関する書籍や展示の解説を請け負う会社で、ここでの活動を中心に数々の書籍の著作やイラストを世に送り出します。富士通出身だけに、富士通が関係する書籍が多いのも特徴です。このSPCに、水谷氏も参加します。

図4◆MUSIC文の説明のページより。「名演奏家MZ80K氏を訪ねて」というのは、次のページに『「楽譜はストリングにします。」(同氏談)』というタイトルの前フリになっています。


 ここで両氏は、ただイラストを依頼されただけではなく、その内容についてシャープと深く議論し、詳細を煮詰めていったものと思われます。マニュアルに添えられたイラストが伝えたい中身をよく理解した上で描かれているということもその理由ですが、ある小冊子の存在が、イラストに収まらない議論のあったことを示唆しているのです。


数のひろばとBASICマニュアル
 

 その昔、富士通は東京タワーにショールーム「数のひろば」を構えていました。内容はコンピュータと数学に関するもので、コンピュータを通じて数の不思議さを伝え、小中学生に数に対する興味を持ってもらおうという、まさしく「企業メセナ」的な施設でした。入り口をくぐると数に関するパズルなどが並ぶ広場になっており、奥にミニコン「FACOM」が設置されていました。ショールームで案内してくれるお姉さんはコンパニオンではなく宣伝課から配属された社員で、ミニコンの操作技術とFORTRANの一通りの知識を備えていました。

 ここでは年2回のコンピュータ講座(もちろん学ぶ言語はFORTRAN)が開催されたほか、希望者には「数のひろば」という小冊子が配布されていました(写真1)。この小冊子はショールームの案内を兼ねた読本になっていました。そして、この制作に携わったのが水谷たけ子・緒方健二の両氏だったのです。

写真1◆数のひろば。コンピュータ・ジュニア・クラブ(C.J.C.)という小中学生のためのコンピュータクラブがあって、会員はショールームのミニコンを操作できる特典がありました。小冊子にはそのC.J.C.の案内も書かれています。


 「数のひろば」はB7版サイズの二つ折り製本で、1970年代に3巻まで、1980年代に1巻が発行されました。どれも60数ページほどの厚さで、2巻が江戸時代の話を多く取り上げている他は数学パズルや誤差の切り捨てが産むパラドックス問題、そしてFACOMをメインとするコンピュータの話で構成されています。制作年度は明記されていないのですが、2巻でFACOM230-8シリーズが新発売されたことをネタにしている話がありますので、1973年前後のものだと思われます。

 この小冊子には、「日本の数詞」として数の位の話が、「時の鐘」として江戸時代の時刻制度の話が、「男の一生」として一生分の時間がどのように使われるのか円グラフで示される話など、BASICマニュアルにもある話がいくつも取り上げられています。「男の一生」は計算の違いで一生の時間が700800時間となっている以外は、701260時間であるBASICマニュアルと全く同じことが書いてあります(図5)。

図5◆「701260時間(人生80年の使い方)」と「S氏の一生 80年(700,800時間)」。微妙に割合とかも違いますが、言いたいことは全く同じ。


 このことから、どちらが提案したかはわかりませんが、「数のひろば」のコンピュータを通じて数の世界に親しむというコンセプトが、結果的にBASICマニュアルに引き継がれることになり、「数のひろば」にもあった話のいくつかが採用されたのだと思われます。言ってみれば、シャープとSPCの合作というわけですね。

 かくして、従来の概念を超えたマニュアルは製品に標準添付され、多くの人の目に触れることになりました。書店ではまだ手に取ろうかという人が少ない時代、ユーザーはほぼ全ての人が「とりあえず」読むであろうことから評判は後世に伝わり、その結果が冒頭の特集というわけなのでしょう。


その後
 

 シャープ・部品事業部の面々はBASICマニュアルの出来に満足し、続いてDISK BASICマニュアル(図6)とインタープリタPASCALマニュアル(図7)も同じ体制で作成します。より高度な命令や新しい概念の説明が多くなる分BASICマニュアルのような「読本」的雰囲気は失われてしまいますが、それでも豊富なイラストで敷居の高さを緩和する努力は払われています。
図7◆「INTERPRETER PASCAL」マニュアルより。PASCALでは再帰が使えるのでその解説があるのですが、再帰に似ているようで再帰ではない事例の説明に添えられたイラストです。中世ヨーロッパ風の人物がパスカル先生ということになっています。ちなみにこれは静岡・三島地方に伝わる農兵節またはノーエ節という民謡だそうです。
図6◆「DISK BASIC」からディスケットの説明。セクタ分割されているのでランダムアクセス可能なことを説明しています。

 MZ-80Bの時代になると、プロフェッショナル仕様ということもあり標準添付のマニュアルは命令を解説するだけの無味乾燥なものになりますが、別売りされたBASIC PROGRAMMING MANUAL(図8)には水谷たけ子氏のイラストが再び使われています。やはりこちらも読本というより応用力強化といった雰囲気ですが、水谷氏独特のユーモアのあるイラストもあって、和ませてくれます。
図8◆「BASIC PROGRAMMING GUIDE」より、落とし穴にはまるの図。BASICにおいて有効桁数の関係から端数を四捨五入などする関係で、誤差から期待した答えが出ないことがあることを指しているのですが、これは穴に引きずり込まれているとしか見えない…。


 水谷氏と緒方氏は、1979年にエレクトロニクス・ダイジェスト社発行のマイコンに関する総合的なガイドブックを目指した「マイコン読本」の挿絵を、1981年には誠文堂新光社の「初歩のラジオ」別冊にてMZ-80K/Cシリーズを題材にした解説書「図解パーソナルコンピュータ MZ-80」を著します。イラスト自体は新たに描かれたものですが、特に「図解パーソナルコンピュータ」の方はBASICマニュアルとDISK BASICマニュアル、PASCALマニュアルの内容その他を一冊にまとめた内容となっています。おそらく販促を兼ねてシャープから技術的な支援を受けていると思われます。

 マニュアルの仕事としては、富士通のFM-8のBASICマニュアルも手がけています。時期的にはMZのマニュアルより後ですが、「数のひろば」を考えれば、元の場所に戻ってきたようなものでしょうか。


まとめ
 

 以上が、今現在わかっているだけのBASICマニュアルの秘密です。パソコンの黎明期でありながら、パソコンの普及に情熱を注ぐシャープ内外のすばらしいスタッフによる、集大成だったということなのでしょう。そしてこの本を読んだたくさんの人々がその思いを受け継いで、今の日本のIT業界があると言っても過言ではないと思います。

 さて、そのシャープの電子書籍ストア「COCORO BOOKS」では出版社に頼らないオリジナルコンテンツとして「電子書籍で復刻!レトロ家電カタログ」というコーナーが設けられています。そしてその中のシャープ製品のページの復刻冊子・雑誌のところにこのBASICマニュアルが購入可能な書籍として並んでいるのです。購入といっても無料なので、会員になって購入してダウンロードすれば専用ビューアでいつでも読むことができるようになります。さらに最近Webビューアも登場したので会員にならなくてもネットにつながっていれば読めるのです。ぜひあなたも、この型破りなマニュアルを読んでみて、当時のスタッフの情熱を感じてみてください。