MZ-2000
このマシンは、大学の先輩から譲ってもらったものです。先輩はやっとGRAMを入手して「これでグラフィックが使える!」と喜んだのですが、なんといつのまにかカセットデッキが壊れていて結局グラフィック画面は見られなかったとのことでした。 |
スペック
CPU | Z-80A(LH0080A) 4MHzクロック |
ROM | BOOT ROM(2Kバイト・イニシャルプログラムローダ) CG-ROM(2Kバイト・キャラクタジェネレータ) |
RAM | メインメモリー64Kバイト標準装備(64KビットD-RAM×8) 2KバイトV-RAM(キャラクタ) 48KバイトV-RAM(グラフィック・オプション) |
CRT | 10型ノングレアグリーンフェイス、カーソル機能、タブレーション機能、リバース機能 画面構成80字×25行・40字×25行(2モードソフト切換え) 文字構成8×8ドットマトリクス グラフィック 白黒時 3画面(各640×200/320×200ドット・ソフト切換)、ページ1.2.3およびキャラクタとの混在可能 (オプション) カラー時 8色1画面(640×200ドット・拡張BASIC要)、ドットコントロール可能 |
キーボード | ASCII準拠配列メインキーボード 10ディファイナブルファンクションキー、テンキー、4カーソルコントロールキー キー数 92キー・キー種類ASCII準拠英・数字64種 ASCII準拠反転文字36種・擬似グラフィック35種他 |
編集機能 | 上・下・左・右カーソルコントロール、ホーム、クリア、挿入、削除 |
カセットデッキ | マニュアルおよびソフトコントロール可能・電磁メカ データ転送方式:シャープPWM方式データ転送速度・2000bit/秒 標準オーディオカセットテープ使用 |
サウンド出力 | 最大400mW(可変) |
時計機能 | 内蔵 |
拡張I/Oポート | 4ポート(本体内に収納可能・オプション) |
電源 | AC100V±10% 50/60Hz、消費電力50W |
使用条件 | 使用温度0℃〜35℃(保存-15℃〜60℃)・使用湿度80%以下 |
外形寸法/重量 | 幅440×奥行480×高さ262mm/約13kg |
背景
MZ-80Bによって路線が分かれたMZシリーズでしたが、MZ-80Bに対しては不満が多々ありました。その多くの不満を解消するスペックを持って登場したのが1982年登場のMZ-2000です。
最大の特徴は、ついにカラーが本体だけで使用できるようになったことです。相変わらずグリーンCRTを内蔵しながらRGBコネクタを持ち、グラフィックとキャラクタを外部と内蔵のそれぞれのCRTに表示することもできます。また、グラフィックが強化されて640×200ドットを各ドット毎に8色、モノクロならば3ページ持てるようになりました。内蔵CRTもきっちり2000文字対応のものが使用されています。
筐体デザインも大きく変更され、全体的にひとまわり小さくなりました。プラスチック部材が増えましたが決して安っぽくなく、MZ-80Bに負けずとも劣らないデザインとなっています。サイズが小さくなったおかげで内蔵される拡張I/Oポートは後へ張り出し、カセットデッキは縦型になりました。
キーボードも改良されました。配列こそMZ-80Bと同一ですが、キースイッチが変更されてもう少しストロークの深いものになって打ちやすくなりました。さらに、壊れやすかったファンクションキーとカーソルキーは普通のキースイッチが使用され耐久性が上がりました。
グラフィックRAMは本体内に二階建て式で増設するようになったので、拡張I/Oポートのスロット数は4つに減りました。拡張ボードは基本的にはMZ-80Bのものが共通に使用できました。CGROMの内容も、BASICの文法もほとんどをMZ-80Bに合わせたので、MZ-80Bの資産のほとんどを受け継ぐことができるようになっていました。但し細かい部分での差があることから、システムソフトウェアは全てMZ-2000のために新たに内容的には同じ物が発売されました。
ただスペック的な問題もありました。一番の目玉のカラー化が、グラフィックはまじめにできていたもののキャラクタについては「一画面で一色」という構成にしていたことです。このために違う色で文字を表現したい場合はキャラクタをあきらめて全てグラフィックで描画しないといけないことになります。これは表現力の点ではマイナス要素でした。
しかし、MZ-80Bの不満点を解消してしかも6万円安い218000円という価格でMZ-2000が発売されると、たちまち人気を博するようになりました。多少の問題点も、不満解消・低価格化の前にかすんでしまいました。
とここで、シャープ系パソコンをサポートする情報誌「Oh!MZ」にて「シャープに爆弾を仕掛ける会」という連載が始まりました。よいパソコンを作ってくれるのはいいが、MZ-80Bからわずか1年でモデルチェンジし、しかも互換性が(全然じゃないけど)ないというのは、あまりにユーザー不在すぎないか?!というのが会長である山本氏のそもそもの理由でした。現在は季節ごとに新モデルが発表されていますが、当時は早くて1年サイクル、それでも短すぎるという意見が多かったのです。連載ではどこだったかの平和団体のように時限爆弾を掲げ、シャープがユーザーサイドに立った動きを見せれば戻し、無視しているようなら進めるということにしました。
この連載は多くの読者の賛同を得ました。いかに購入タイミングを見誤って新機種出現に損した気分を味あわせられた人々が多かったかということでしょう。ところが、その人気に溺れたか連載の内容がかなり独り善がりなただ不満を書き散らすだけのものに変わってしまいました。今度はその内容に対して批判の投稿が集中するようになります。そして大した反論もできないままなんと「〜仕掛ける会自爆、山本会長心身症で海外へ逃亡」などと銘打って連載を打ち切ってしまいました。当時は日航機羽田沖墜落事故の直後で着陸態勢中にエンジンスロットルを逆噴射位置に入れた機長とたまたま同じだったこともあるのでしょうがシャレになりません(あの時はいろいろなキーワードが流行語になりましたが…)。説明では会合の際に傍聴したいと言って出席した素性不明の男が最終的には妨害行動に出て会をむちゃくちゃにした、それで会長は心身症になって渡米したとありました。メーカーから圧力がかかり打ち切られたとかいう憶測も流れましたが、実際には山本氏の米国留学に伴う後継者が確保できなかったからではないかと思われます。その後山本氏はMZ-LOGO発売に際して開発元を訪問しインタビューしています。なお、この山本氏こそ後の「祝一平」氏です。
そういう批判はともかく、同じメーカーでは比べる相手がMZ-1200であるという状況ではMZ-2000に魅力があるのは事実でした。少なくともカラーが使えるという点ではMZ-700発表までは選択肢はありませんでした。MZ-700もグラフィックが使えないわけですから、お金に余裕があればMZ-2000を選択したいというホビイストは多かったはずです。スペック的にはMZ-700とほぼ同時に発表されたX1が上回りますが、資産の差や後継機発表くらいまでイロモノ視された状況を考えるとまだ競合するには至りません。なお、X1のスペックを見ると基本的な部分はMZ-2000をお手本にして、あるいは改良しているのがわかります。メモリ容量、IPL、カセットデッキ、グラフィックのスペック…。
1982年後期のパソコン業界の話題は、登場し始めた16ビットパソコンでした。BASICレベルでのPC-8801との互換性に配慮して投入されたPC-9801は、誰からも本命視されていました。
しかしながら、シャープは「まだ16ビットマシンは主流にならない」と読んでいました。まだ8ビットマシンで十分だと踏んだのです。後にこれは間違いで早い時期から16ビットマシンを投入すべきだったことがわかるのですが、家電屋ならではの読みか、「先頭は切らない、二番手として儲ける」という戦略に出ました。がそれは単に新機種としてどうするかという話で、話題になっている16ビット環境をユーザーに提供する別の方法を採用しました。
それは「16ビットボード」という拡張ボードの発売でした。アナウンスとしては拡張I/Oポートを持ってない人でも使用できるようにとのことでしたが、おそらく実際には規模の大きさと拡張方法の都合で横長の特別な形状のボードをキーボードの下に収納し、そこから伸びるフレキシブルケーブルの先に取り付けられたZ80を元のZ80と交換し、電源を増設するという、ほとんど「改造」レベルの作業をユーザーに強いる「キット」だったのです。作業のためのドライバーが付属していました。
16ビット化されたMZ-2000は、それまでメインで動いていたZ80がI/Oプロセッサとなり、16ビットボードの8088(5MHz)がメインとなって動作します。メモリは8ビット時代の倍の128KBあって、純正ではサポートされていなかった漢字ROMも増設できます。16ビットシステムはローダがボードにプログラムを送りこむことで動作するようになるので、従来のプログラムはそれまで通りに使用することができました。
確かに8ビットシステムでは弱かった部分を補える魅力は備わっていました。しかし残念なことに供給されたシステムはボード付属のテープBASICのみでディスクBASICは発表されず、そして16ビット用の開発環境さえもクロスも含めて発売されませんでした。さらには5MHz駆動の8088ではパフォーマンス不足で、Z80⇔8088での割り込みによるデータ交換がオーバーヘッドとなり純粋にZ80で動くシステムのほうが速く動くという期待とは裏腹の実情を呈する結果となっていました。サードパーティも16ビットボードに対応せず、例えばMZ用にCP/M80を発売していたマイクロソフトウェアアソシエイツ(MSA)も16ビットボード用のCP/M86を発売することはありませんでした。ただ、CP/M86に関してはPC-9801用のCP/M86とMZ-2000用のCP/M80を換骨奪胎して移植したものがOh!MZに掲載されました。漢字ROMも8ビット用に純正のものが供給されるようになり、結局は16ビットボードの存在意義がなくなってしまいました。
1983年に後継機としてMZ-2200が登場しても全く設計変更がされることはなく、結局MZ-2500登場までホビー向けパソコンの最上位MZとして3年もの間君臨することになったのですが、その間の他メーカーの攻勢を凌ぐにはあまりにも貧弱なスペックであり、これが一気にMZをマイナーにした原因のひとつとも考えられます。