それゆけTOWNS NETWORKERS 幻の最終回 (仮の仮原稿版)


◆はじめに◆

 TOWNSユーザー最大のコミュニティ、FTOWNSを擁する@niftyの誕生から1年チョイが経過し(…た頃にこの文章が載るはずだった)、本来このコーナーで取り扱うはずだったTOWNS系草の根BBSも激減している…と、TOWNSユーザーを取り巻く通信環境もだいぶ変わっている…はずだが、FTOWNS中央集約型なのは変わっていなかったような気もする(笑)。
 ハードウェア等の入手先も、ミリオンでTOWNSモノを見かけなくなってしばらく経つが、いよいよアクセスでもTOWNS関連商品の取り扱いを終了せざるを得なくなったようだ(これは2000年代前半の話。現在ではそれどころか有料会員制サイトに移行し、親指シフト製品まで風前の灯火)。TOWNSを取り巻く環境はこれからますます厳しくなっていく(というか、これを執筆した時点よりも更に酷くなってる気がする)と思うが、本当にTOWNSを使い続ける気があるなら(ここが重要)、状況がどうであろうが、まわりから何と言われようが、使い続けていく…と思いたいが、本当にそうか?というわけで、最終回は当初の予定通り、めちゃくちゃ重いテーマで迫ってみる。題して「これからのTOWNS文化とその問題」。

◆フリコレの残した光と影◆

 これは、実は元ネタは以前(2000年2月頃に)FTOWNSに書いたことのある内容だが…一部にはものすごく評判がよかったから(空気が読めない病人のすっとぼけコメントも付いたが)、改めてここでまとめてみる。

 国内でいえばTOWNSと同世代のライバル機とされるPC-9800シリーズ、X680x0シリーズのような他機種の状況はどうであれ、2000年当時のTOWNSユーザーは、ほんの一握りのクリエイティブなユーザーと、大多数の受け身のユーザーに分けられるであろう。この構図ができてしまったのは、富士通が定期的に発行していた「フリーソフトウェアコレクション(3までのフリーウェアコレクションを含む。以下フリコレ)」の存在が大きい。

 フリコレは5までの初期はNIFTY-Serve中心で作品を集めていたため厳密には違うが、6以降は「原則投稿制」といった制度を取ってきたことで、「優れた作品を他のユーザーに見せつけてやろう」とか「一発芸で笑わせてやろう(笑)」とか「私の絵を見てください」「私の作った曲を聴いてください」「あなたの写真見ましたよ(コレは違う)」とか、理由はいろいろあるだろうが、「フリコレ」という、定期的に発行される富士通公式のCD-ROMディスクマガジン…「作品発表の場」があったからこそ、クリエイティブなユーザーのやる気を奮い立たせてくれ、TOWNSで創られる作品のレベル向上にもつながっていた。これを仮に「フリコレの正の力」とする。人によっては「フリコレがあるから作者間での競争が働かない」という意見もあるだろうが、この際どっかに放り投げておくことにする(笑)。

 フリーウェア作者の立場から言わせてもらえば、褒めるけなされるは別として、簡単なものでもいいのでソフトを使ってみた感想のついでに次バージョンへの要望を添えてくれれば、こちらとしても「対応してやろうじゃないか」という気にさせられるものだが(自分個人にはユーザーからのフリコレ収録作品に対する感想はあまりのくだらなさにPureTOWNS撤退の数年後にFTOWNSのチャットでもらったくらいだが)……しかし、現実は厳しかった。クリエイティブユーザーにとっては「正の力」となるフリコレがあったために、「ソフト・CG・音楽などは誰かから与えてもらえばいい」と、コンテンツを消費するだけで何も生み出さない(「生み出せない」ではない)、受け身になってしまったTOWNSユーザーもかなり多いんじゃないだろうか。これを正の力に対して「フリコレの負の力」とする。

 この「負の力が働いた状態」では、ソフトプレーヤーとして使うだけなら既にTOWNS以外の選択肢がいくらでもあるのに(2020年現在ではスマホですら構わない)、せっかく目の前にあるTOWNSを、単なる「ソフトプレーヤー」の一面でしか見ていないわけで、とてももったいないことだ。ただし、これはスイッチオンプレイ等のソフトプレーヤーとしての簡便さをはじめ、様々な多面性を兼ね備えていたTOWNSの特性を否定する意見ではないし、ソフトプレーヤーとして使った結果、自分にとってのかけがえのない、金銭的なものではない資産ができ、将来的にそれが残せさえすればいいという価値観も否定しない。

 事実上の富士通撤退から5年、V-TOWNS最終モデル発売から3年半が経過しているが(注:当初の執筆時点である2000年時点での話)、一般的にメーカーが撤退したマシンはユーザーパワーで支えていかなければならないのに(それをしなければ、その機種はあっと言う間に歴史の狭間に葬られる)、PC-9800、X680x0やその2機種の前世代となるPC-8801(場合によってはあのPC-88VAすら含むがPC-8801MC model2は含めない物とする(謎))、X1、MSXなどと異なり、TOWNSの場合(下手すると8ビットFMシリーズからかもしれない)は受け身のユーザーがあまりにも大多数を占めてしまっているが、この状況から判断すると、どうやら自ら首を絞めてTOWNSを滅ぼしたいユーザーが多いとしか思えない。これも「時代の流れ」というなら、あまりにも哀しすぎる。

 それならば、どうやってTOWNS文化を存続させればいいか…その答えまで与えてしまう気はない。それくらいは自分で考えて欲しいが、ヒントを一つ。初代TOWNSのカタログには「きみが関係するFMTOWNS。全身クリエイティブメディアです。」と書いてあった。その文章の本質を鋭く見抜くことができれば、答えを導き出すのはそんなに難しくはないことのはずだ。

◆というわけで◆

 「from FTOWNS」として始まった当コーナーで当時はおちゃらけた文体や16号のようなぶっ壊れた文体でごまかしていたが、先述したとおり、このように重い話題を扱って終わることは、実は結構キツいことを書くことも含め、最初から決定していた事項だった。そしてこれを公開するときには、既にTOWNS文化は事実上歴史の表舞台から消え去ってしまっていた。相変わらずのF社のよくないパターンというか何というか…。

 それでは、さらば、愛しきTOWNSたちよ…。とはいっても、今あるTOWNSは壊れるまで使うし、最近になってあの山川機長さんがオープンソース・マルチプラットフォームエミュレータの「津軽」を発表してTOWNSユーザーも捨てたもんじゃないと思い始めたからね!!(謎)

◆読み直して書き直した感想◆

 TOWNSが抱えていたこのような構造だが、OSとしてWindowsとmacOSの二大巨頭が主流になり、パソコンの家電化・コモディティ化が進んだことで、クリエイターとユーザー間の関係は更に深刻な問題を抱えるようになってしまったように感じる。それでも技術の発達は凄まじく、現在では特に技術がなくてもコンテンツを消費するだけで何も生み出さないんじゃなく、2020年末でいっぱいでサポートが終了するFlashで作られた作品を発信する「Flash創作活動」に端を発する動画系サービスを中心としたさまざまなWebサービスで作品を発信するのでもいいし、各自のWebサイトや現在主流となってきたSNSサービスを利用して有益な情報を共有することもできる。これからも我々を楽しませてくれるようなワクワクできる作品がいろんな人の手で創り上げられ、発信されてゆくことを願ってやまない。
REIPL
ryu.takegami@mbg.nifty.com / ryutak@kamome.or.jp.
Twitter:@RyuTakegami