いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)

西暦2006年1月−4月分


西暦2006年1月1日 “謹賀新年”

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしゅうに。


 本日はあまり天気がよろしくない、という予報であったが、幸い天気に恵まれ、清々しい一日であった。


 本日は久しぶりに法隆寺を拝観。

 前回は確か百済観音堂がまだ無かった頃の話だから、結構ご無沙汰であったことになる。

 早速キヤノン7を取り出して境内を撮影してみるが、何しろフルマニュアルのカメラは初めて(父のキャノネットでさえ、EEカメラだった)なので、内蔵露出計の操作(とりあえず動いているのでテストを兼ねて使ってみることにした。シャッタースピード連動で絞り値を表示してくれるのだが、センサー感度が2段切り替えで、その操作を含め操作が結構面倒だ)にまごつきつつ、シャッターを切る。

 正直F0.95というのは何かの冗談の様なもので、ついでに手持ちでシャッタースピードを1/60以下に設定するのはピンぼけ写真量産決定も同然なので、無難な値に設定してみたが、果たしてちゃんと写っているのかどうか。

 何しろ45年前のカメラだけに、正常動作しているのかどうか自体が問題となるレベルだが、幸い伯父が割と定期的にメンテナンスしてくれていたらしく、シャッターは何とも言えない良い感じの音と共に動作し、巻き上げ機構も抵抗無くスムーズにフィルムを巻き取ってくれた。

 ・・・無論、写ったフィルムの内容がピンぼけしていないという保証は皆無だが(苦笑)。


 今更だが、法隆寺は現存最古の木造建築物を擁する大寺だけあって、建物も仏像も、それから経典類も、ことごとく国宝・重文の宝庫である。

 これだけの寺が、兵火に晒されることなく1200年以上を閲してこれた(もっとも、至宝とさえ呼ばれた金堂壁画は、戦後すぐの痛ましい火災で永遠に喪われてしまったが)というのは、本当に奇跡以外の何物でもない。

 そんな法隆寺だが、実はこれまで、その貴重な宝物の展示について何というかひどく雑な所があった。

 それらは宝蔵と呼ばれる鉄筋コンクリート製の収蔵庫で一部が展示されていたのだが、収まるべき堂屋を持たなかった百済観音をはじめ、玉虫厨子など歴史の教科書に出て来るような凄まじい宝物の数々が、そこに無造作に置かれていただけだったのだ。

 1950年代からここに通っている父に聞くと、「昔はもっとひどかった」あるいは「これでもマシになった」との事であったが、それが今回百済観音堂の建立でようやく世間の美術館や博物館並になっていた(苦笑)。

 この種の「生きた」宗教施設では、信仰と学術的・芸術的な展示の両立が難しいのであるが、今回の法隆寺の場合は、一応うまく折り合いを付けている様に見えた。

 ・・・まぁ、実のところを言えばそんな小難しい話はどうでも良くて、百済観音や玉虫厨子が非常に鑑賞しやすい配置になっていたのが何より嬉しかったりするのだが(苦笑)。


 今後もこの状態が適切に維持される事を祈りつつ、法隆寺を後にして隣の中宮寺へ。

 こちらを拝観するのは、確か小学生の頃以来だから、前回訪れたのは20年以上昔の話になる。

 こちらの弥勒菩薩像も歴史の教科書でおなじみの1躰であるが、面と向かってまじまじと観察するのは実は初めての様な気がする(汗)。

 この像の造作については今更くだくだしく述べるまでもないが、こうして拝観させていただくと、やはり並大抵ではない。

 法隆寺もそうだが、1400年近い時の摩耗に耐えた“モノ”には相応の力があるのだ、と改めて痛感させられた。


西暦2006年1月2日 “文殊菩薩”

 本日は両親と安倍文殊院を拝観。

 これまで何度も近くを通っていたが、何となく通り過ぎていた寺だ。

 そろそろ本当にネタが尽きて来たので、今回初めて訪れてみたのだが、境内の異様な混み具合に一同唖然としたことであった。


 ・・・そうか、文殊菩薩は知恵を司る仏さんだった(汗)。

 何のことはない、受験生が合格祈願に殺到していたのであった。

 そんな訳で合格祈願のご祈祷とやらの邪魔にならないように拝観させていただいたが、快慶作のご本尊のあまりの見事さに。思わず見とれてしまった。

 文殊菩薩(正確には文殊師利菩薩)は獅子の背に結跏趺坐するが、その獅子も本体も共にかなり大きく、それでいて大味な所が無いため、ひどく迫力のある造形になっているのだ。

 ・・・なるほど、これならば拝めば合格の御利益が得られるのかも知れない(苦笑)。

 そんな事を思って眺めていたのだが、ご祈祷の生々しい内容を聞くにつれ、現世利益と造仏の関係について色々考え込んでしまった事であった。


西暦2006年1月3日 “金沢文庫”

 本日は国立奈良博物館で特別展 「金沢文庫の名宝」と特別展 「東大寺公慶上人」を観覧。

 以前の奈良博は正月3が日は閉館だったのだが、法人化だの何だのの影響か、元旦は閉めても2日から開館しており、大変結構な事(考えてみれば、年で一番沢山の人が周辺にやってくる日に閉めて来た訳だから間抜けな話だ)である。

 展覧会の内容はいずれも文献資料中心であったが、流石奈良博と言うべきかとにかく盛り沢山で、平常展(仏教美術の名品)まで見た段階で家族3人揃ってクタクタという有様であった。


 観覧後、奈良を後にして姫路へ。

 何やら大忙しであったが、これで休暇は終了である。

 家へ帰り着いてからは年末に組み替えたAT新2号機の後始末を終え、荷物の準備をしてから3人ですき焼きを食し、神姫バス姫路バスターミナルから渋谷行き高速バスに乗車し、両親と別れた。


西暦2006年1月6日 “京阪3000系”

 衝動的というか発作的というか、脊髄反射レベルでマイクロエースの京阪3000系3次車7連セットを購入。

 Nゲージの車両を買うなど何年ぶりだろうか(苦笑)。

 京阪3000系については年末に最後の生き残りを拝んできたばかりであるが、やはり今の姿より3+3あるいは3+4で編成を組んでいた全盛期の端正な佇まいの方が私は好きだ。

 ちなみにこの製品、3次車ということになっているが、実はTVアンテナがTc(3500)だけではなくMc(3000)にも付いており、ダイバーシティアンテナの実用試験車であった3012Fの7連以外にはなり得ない構成であったりする。

 これは、Nゲージでは初の製品化となる川崎重工KS132A台車(初のNゲージ化であったエンドウの製品では近鉄30000系や国鉄201系のDT-46/KD-83系シュリーレン台車が流用されていた。余談だが、エンドウの3000系は3500のアンテナ位置からプロトタイプが1・2次車である事が判る)や、良く作り込まれたTVアンテナをはじめとして、概して非常に良くできた製品であるが、色についてはもう少し赤が鮮やかでも良かったのではないだろうか。

 そんな訳で、再生産の際にはアンテナとレタリングを変更し、色を修正の上で1・2次車や3次車の通常版を出される事を希望しておくが、何しろ流用可能部品が少なく模型化が難しい京阪電車なので、ちゃんとした製品を、それもこのレベルの完成度で出してくれたことには大感謝である。


西暦2006年1月21日 “PC-9821Rv20/N20 ”

 唐突にPC-9821Rv20/N20を購入。

 これは98としては2機種しか存在しないSocket 8 Dual構成を採る1996年当時の最上位機種であるが、今回はNEC純正でPentium Proを増設済(つまりVRMもNECが提供した正規品を搭載)の機体を入手した。

 

 まぁ、今更Pentium Pro Dualなど実用性は無に等しい(何しろ後継のPC-9821RvII26/N20も手元にあって、こちらはPentium II 300MHz Dualで動いている)訳だが、この機種は以前も書いたかと思うが、RvII26とは異なりITF-ROMのCPUチェックが非常に緩いので、下駄2段重ね+αでTualatinコアのPentium III-S/Pentium III/Celeron(但し下駄を大改造しない限りはDualには出来ないらしく、現状ではその成功例も報告されていない)を搭載可能であったりする。

 それでも倍率14倍(Celeron 1.4GHzかES品で設定可能)で933MHzというのが定格での上限となるし、そもそもメモリがSIMMではあまり幸せにはなれないのだが、メモリを448MB(これまでひっそり買い集めていた64MBのパリ無しEDO SIMM6本が役立った)にして倍率13倍のCeleron 1.3GHzを搭載し、HDDもCheetah X15のCompaq向け9GB品に交換(SCSIカードはChanpon3を使用)すると、流石に挙動が全然違ってきた(苦笑)。

 本当に今更な機種だが、ともあれこれでXv20/W30・Rv20/N20・RvII26/N20とSocket 7/8・Slot1搭載98の各代表機種が揃ったので、9821のMate R/Xに未練はなくなった(笑)。

 H98も薙澤君から貰ったmodel U105-300が実家にあるので、後はPC-98RLとPC-9821Anがあれば98デスクトップ系の主要ハイエンド機は一通り揃う事になる(笑)。

 St20はどうした、とかSV-H98 model 50fは?とか色々突っ込まれそうなのだが、流石にその辺は出物が殆ど無い(合掌)。

 98の体系的なコレクションという事なら、それらも要るのであろうけどねぇ・・・。


西暦2006年1月23日 “PC-9821Rv20/N20(その2)”

 思いつきで、かなり唐突ながらPC-9821Rv20/N20に玄人志向謹製のCHANGE-AGP2PCIを介してSPECTRA 8400を搭載してみる。

 無論そのままで正常に動く訳は無いから、まりも氏のVGAENBとpowerx氏のDispFlipを併用したが、VGAENBをN-N-Nの設定としただけであっさり動作してして、あっという間に戦力化してしまった(苦笑)。

 このマシンについてはCHANPON3-PCI搭載USBのEHCIを殺していた(あれは殆ど実用性が無い)訳だが、よもや98で再び、それもこんな変則的な形でCanopusクオリティなグラフィックを使えるようになるとは思わなかった事であった(苦笑)。

 今となってはGeForce 2 GTSなど過去の遺物扱いであるが、それでもVoodoo Bansheeあたりを使うよりは余程幸せなのは確かである。

 もっとも、N-Bench 2でトータル500ちょっとしか出ない(なのにCPUの2番目の項目では1200少々、とFSB 66MHzの866MHz駆動でありながらAthlon 1GHzを凌駕する値が出ており、Tualatinコアの演算性能の真価を見せつけている。但しこれは、逆に言えばメモリなどCPUコアの外部に接続されている各デバイスの性能が貧弱である事を示唆してもいる)あたり、かなりナニなのも確かであるが・・・(合掌)。


西暦2006年1月28日 “PC-98RL”

 PC-98RL model 5を入手。

 そう、「9801」でも「9821」でもない、PC-98XAに始まる一連の「PC-98」型番ハイレゾ機シリーズの最終形態となったグループ(型番としては1年後のPC-98RL model 21/51がラストだが、こちらは値下げ以外のスペック上の変更点が皆無である)だ。

 ストレートに言ってしまえば「出物があってしかも安かった」から買った物だが、以前にも書いたと思うがV30搭載機が1台は欲しかったので、これはこれで満足である。

 問題があるとすれば、メモリ増設がかなり厄介(但し現状で純正内蔵メモリモジュール実装により32bitバス側に3.6MBのメモリが搭載されており、専用SIMMのPC-9801-54Uを2本用意し、更にもう1スロットに4MB実装の専用メモリモジュールを挿せば9.6MBまではローカルバス接続でメモリ増設可能である)である事と、既に内蔵SASI HDDが死んでしまっている(むしろこれは生きている方が驚きだろう)事だが、その辺はその内何とかなるだろう(苦笑)。

 ちなみに内部構成についてだが、意外な事にμPD9012〜9014は搭載されておらず、結構部品点数が多いのが印象的であるが、以前Pzi 先輩が持っておられたPC-98XL^2と比較するとメモリやCPUを実装したドーターボードの構成が大幅変更されており、コストダウンも考慮して極力RA等とパーツを共用出来る様に工夫されている事が判る。

 もっとも、そうは言ってもこれが高価な機体であった事は確かで、縦置き時に配慮して底面まで塗装されているなど、ひどく贅沢な造りが目立つ機種である(苦笑)。

 バブル絶頂期に世に送り出されたPC-H98 model U105-300と比べればまだしも慎ましやかなモノだが、パソコンにこれだけ手をかけられたのだと思うと何やら感慨深い。


西暦2006年1月31日 “x4000”

 IntelliStationにXeon 2.2GHz(SL5ZA)をデュアルで搭載してみるも、何故か2基目を認識しない(s-specの関係らしいが詳細は不明)のに業を煮やして、かねてより確保してあったHewlett-Packard製グラフィックワークステーションであるx4000の筐体+マザボ(TYAN Thunder i860のOEM版)にIntelliStationの電源やその他のパーツを移植し、ついでに先日ジャンクで入手していた玄人志向のRD98XT-A128CLを搭載。

 但し、CPUクーラーがケミコンの位置の関係で干渉し、実装不能であった為、昨年末に確保していたFSB800MHz版Xeon用純正クーラー(銅製)のはみ出す部分を糸鋸で切断加工して取り付けた。

 こちらでは問題なく2CPUが正しく認識され、Windows 2000上ではHyper Threadingで4CPUと表示されたので、とりあえずこちらを使う事にした。

 もっとも、こちらはPCIバスにノイズが乗りやすいらしく、MTVX-SHFでビートノイズが盛大に出るので、色々考えてMTVX-SHFは新1号機に移設したのだが(苦笑)。

 ちなみにこのデュアル構成、普段は只のPentium 4の2.2GHz単発に毛が生えた程度でしかない(しかも、FSB400MHz)のだが、TMPGEncの様な対応ソフトの下では、1CPU状態のほぼ2倍に相当するパフォーマンスが得られており、使い方さえ間違えなければ非常に強力な武器になる。

 CPUパワーの大幅強化の一方でMTVX-SHFが挿せなくなったというのは、何やら本末転倒という気もするが、編集・エンコード用マシンと録画マシンは分離していた方が便利なのも確かなので、当分はこの構成で運用の予定である。


西暦2006年2月5日 “鉄道コレクション”

 風邪で喉がやられてダウン。

 熱も出るし起きたら夕方だし、という有様で散々である。

 そんな訳で、起床後に薬で或る程度症状が収まってから、食事に外出。

 買い物もあったので、いつもの巡回ルートの簡略版で行くことにした。

 で、途中の鉄道模型コーナーでトミーテックの「鉄道コレクション」というNゲージサイズのディスプレイ用車両模型(いわゆる食玩同様に中に何が入っているか判らない仕様のパッケージになっている)を発見。

 後で調べたら昨年秋以来、鉄道模型愛好者の間で大反響を呼んでいた製品らしいのだが、何しろ鉄道模型については殆ど浦島太郎状態の今日この頃なので、予備知識無しでの遭遇と相成った。

 ・・・・・・誰だよ、こんな紙一重の一線を踏み越えちゃったラインナップを決めたのは。

 旧鶴見臨港鉄道モハ100のカラーバリエーションや、近江鉄道クハ21をルーツとする日本鉄道自動車工業(後の東洋工機)が手がけた小型電車のバリエーションはまぁ、銚子電鉄で印象的だった車両で、しかもカラーバリエーションが多いのを選んだらたまたまそうなった、という感じ(それにしても両方とも上田丸子電鉄色があって、しかも鶴見臨港の方はちゃんと2社で台車が造り分けられている、というのはある意味、偏執狂的ではあるな(苦笑))だし、貨車も定番といえば定番だから判らなくもないが、残る名鉄デキ100だけはどう考えても普通の選択肢ではない気がする。

 恐らく企画者がどうしても凸電が欲しくて、しかも別売りの動力ユニットが入れられる程度にはキャブが大きいものを物色して選んだ(本当はED22とかやりたかったんじゃないだろうか)、と推測するが、HOゲージでも製品化例を聞いた事がないようなマイナー車両(ひょっとすると、どこかの会社がエッチング板を出したりしていたかもしれないが)をNゲージサイズの量産製品として出すのだから、これはもう事件と言って良いのかも知れない。

 ちなみにこのデキ101、黒一色の旧塗装(101)と前面ゼブラ塗りの晩年仕様(104)の2種があって、私が手にしたのは後者だったのだが、眺めている内に、これならパンタを外してポールに交換してやるだけで、パシフィック・エレクトリックの機関車でござい、という事に出来るんじゃないか? と思ったりした事であった(苦笑)。

 今回はとりあえず4箱買って銚子電鉄デハ301・上田丸子電鉄モハ4255(このグループは、真田傍陽線にあった有名な川久保鉄橋を渡る姿を鉄道ファン誌で昔見た覚えがある)・名古屋鉄道デキ104・木造貨車ワフ+トをゲットしたが、何というか各車共にカワイモデル的に絶妙にシンプルにアレンジしつつも、それでいて押さえるべきポイントはきっちり押さえた見事なその造形と、シャープな塗装に脱帽である。

 ちなみに第2弾は3月発売で、今度は旧南武鉄道モハ100のバリエーション(どうも担当者には買収国電ファンがいるんじゃないかという気がする)、高松琴平電鉄62、新潟交通モワ51、貨車だそうだが、せっかくなので気動車(特に戦前の日車標準型。これが出れば後は第一陣の上田丸子モハ2321を2両用意してやるだけで、丸子線のラッシュ用編成が組める(笑))も出して欲しい所である。

 ・・・本音を言えば、個人的には叡山電鉄デナ21とか、阪神の800番台の小型車群とかが欲しいのだけどねぇ・・・。


西暦2006年2月15日 “コンプリート”

 鉄道コレクションIをコンプリート。

 ・・・気がつくと3ボックス以上買ってました(合掌)。

 トレーディングフィギュアもそうだけど、この種のブラインド形式で販売される商品は箱買いをしないと基本的に揃わない(どっかの誰かがサーチやって肝心なのだけを一本釣りしてしまう)上に、ボックス単位で買ってもシークレットが出る保証がない(銚子電鉄デハ501の色違いで、どうやら通常版が入っているボックスとシークレット(入線直後の赤白塗り)が入っているボックスがあるようだ)という悪夢のような状態なので、2ボックス目(1ボックス目を購入後、単品で1ボックス+α分買った後に2ボックス目を買った)で揃ったのは僥倖と言う他ない。

 実を言うと、シークレットは基本的にどうでも良くて上田丸子電鉄モハ2321が何両か欲しかったのだが、単品で買ったら何故か出るのは自由形の1032ばかり(お陰でM三動弁だと全車連結したら緩解不良で運転できないくらい揃いましたよ、エエ)で、結局必要最低数の2両しか揃わなかった。

 まぁ、最悪の場合は銚子電鉄デハ501を塗り直すという手もあるのだが・・・。


西暦2006年2月18日 “書の至宝”

 東京国立博物館で開催の「書の至宝 日本と中国」を観覧。

 もっと早く行けば良かったのだが、最終日直前でギリギリ間に合った、といった感じである。

 展示内容は中国の上海博物館が所蔵する中国の書(牛骨に刻まれた甲骨文字に始まり、近代に至る)と、国内の博物館や寺社、あるいは個人が所蔵する日本と中国の書であったが、とにかくその数の多さと質の高さに圧倒された。

 王羲之の「喪乱帖」に「孔侍中帖」、そして「定武蘭亭序」(いずれも拓本だが、原本が尽く潰え去った今となってはこれらの精緻な拓本で偲ぶ他無い。ちなみに最後の1点の原本は、唐の大宗が偏愛のあまり自分の墓に納めさせて喪われた)、聖徳太子の法華経義疏(奈良博100周年記念展で見た覚えがある)、空海の「風信帳」(実物を拝むのは確か弘法大師御入定1150年記念として京都国立博物館で開催された展覧会以来か)、小野道風の「常楽里閑居詩」とこれだけの書の優品が集められた展覧会は恐らく空前にして絶後であろう。

 これは日本側だけではとても集めきれないし、中国側だけでも欠ける所(実は王羲之の書については、最良の拓本は尽く日本に伝存している)が大きかった筈で、その意味において日中の博物館が共同で開催(この後上海で開催される。ちなみに先に触れた王羲之の書の拓本はおよそ1300年ぶりの里帰りである)した事には大きな意味があったと思う。

 まぁ、人が多すぎてゆっくり見られなかった事には不満が残るし、個々の作品についても色々思ったことがあるのだが、今回の総括としては、「やっぱり肉喰ってる連中の字は違う」

 無論、日本の書家にも一休禅師をはじめ雄渾な書を能くする大家が少なからず存在するのだが、何というかそのダイナミズムと、向こうの書家のダイナミズムは、同じようにやっても根本的なところで何かが違う。

 それは善し悪しとは別の次元の話で、力のあり方というか根本的な部分の前提条件が全く違うのだと思うが、その観点で両国の書家の相違が際だった、非常に興味深い展覧会であった。

 もう一度見たいけど、流石に上海には行けないなぁ・・・。


西暦2006年2月20日 “MU100R”

 最近騒ぎになりつつある例のPSE法で買えなくなる危険が出て来たので、やむなく中古でヤマハのMU100Rを購入。

 プラグイン音源モジュールを2枚追加可能でMIDI 2系統入力可能な、当時のヤマハのハイエンド音源のラックマウント版だ。

 厳密に言い出すと音色の違いが気になるが、とりあえずこのクラスのXG音源が1台あれば大概の曲データは再生出来るので、これを選んでみた。

 で、購入し帰宅後PCにつなごうとして、大事な事を忘れていた事に気付く。

「・・・メインマシンに繋ごうにも、MIDIケーブルもMIDIインターフェイスも無ぇ(汗)。」

 厳密に言えばPhase 24 FWには1chのMIDIインターフェイスが付いているのだが、2ch付いてないとこの機種の場合意味が無い訳で、そうなると98に繋いで使うというある意味正しいが何かが違う使い方を強いられる事になってしまう(汗)。

 で、何か無いかと部屋をかき回してみたら、Roland製シリアルケーブルが出て来た。

 ピンアサインが同じだし変える理由も無いだろう、という事でこれをMU100Rのシリアル端子に挿し、もう一端を25ピン-9ピン変換コネクタを介してPCのシリアルポートに接続。

 思えば本当に久々のシリアルポート利用である(苦笑)。

 そしてBIOS設定でシリアルポートを有効にしてから再起動し、ヤマハ提供のCBXドライバをインストールし、もう一度再起動。

 ・・・正しく認識された(喜)。

 そんな訳で、とりあえずMIDIケーブル調達まではこの体制で使用する事にした。

 まぁ、XP上でTmidiが何故かエラーを吐いて動かないという誤算もあったが、久々に聴いたMIDIデータの音色は流石に抜群で、ここまでの疲れも一遍に吹き飛んだことであった。


西暦2006年2月22日 “恐るべき事態”

 試しにWindows XP上でTmidi+VSC-MP1を使用してmidiデータを再生しようとしたところ、いきなり青画面が出てWindows起動不能に陥る。

 で、別パーティションにWindowsをインストールして状況を確認しようとしたところ、本来のシステムパーティションが吹き飛ばされていた事が判明(号泣)。

 メール等の個人データの類は原則別ドライブに保存するようにしていたのでほぼ無傷で済んだが、それでも一部のデータはロストしたので、その復元には手間取りそうである。

 そこで、一旦クイックフォーマットをかけて(そうしないと復旧ソフトの類ではこのパーティションが認識されない)からデータサルベージを試みたが、フォルダの階層構造に依存するデータの復元が至難であった事と、仮に全サルベージを行った場合の所要時間が非現実的なレベルである事が推測されたため、一部の他で回復不能なデータのみ救出の上でフォーマット・再インストールを実施した。


西暦2006年2月25日 “SC-88Pro”

 SC-88Proを入手。

 後はCM-500・SC-55・SC-55MkIIがあればゲーム関係はほぼ万全である(爆)。

 ちなみに記憶にあるSC-55MkIIによる対応曲データの再生時とSC-88Proでの再生時では、鳴り方が結構違う。

 音色マップは原則一致させてある様なのでMU100Rで鳴らした時の様な違和感(オケヒットとかエフェクト関係が結構頓珍漢な事になる)は無いが、SC-55MkIIの限られた発音能力を極限まで使い切った様なデータを鳴らす場合、ギリギリまで踏み込んで音色のクセを利用していたりするのが仇となって上手く再現されないケースがある様だ。

 midiデータの場合、往々にしてその種の限界ギリギリまで攻め込んだデータ程、出来が良いので、難しい部分ではある。

 とりあえずSC-55MkIIだけは何とかして探すかなぁ・・・。


西暦2006年2月26日 “MUV-LUV ALTERNATIVE”

 遅ればせながら、マブラヴ オルタネイティブを購入。

 メインマシンの復旧に手間取ったり、仕事が忙しかったりして出たのを忘れていた(合掌)。

 前作から約3年、本当に長く待たされたが、何やらあちこちで雑音が聞こえているのが結構不安である(汗)。


西暦2006年3月1日 “クリア”

 オルタ、終了。

 いや面白かった。

 結構人を選ぶというか難しい所のある作品だとは思うが、色々大風呂敷を広げすぎて批判轟々だった前編の伏線や謎を、ほぼ漏れなく回収してのけた力業ぶりには只々脱帽する他無い。

 そういえば、あちこちの掲示板でグロがどうのと騒がれていた様だが、全体のバランスやシナリオ構成から言えば、あれはあれで必要悪のレベルなのでは無かろうか。

 何にせよ、きちんと完結して良かったというのが正直な感想である。


 この3月で大学院を出る後輩のM君から、引っ越しで不要となるドリームキャストを貰う。

 ちなみにVGAユニットやビジュアルメモリなども付けて貰った(多謝)他、「動かすものが無いとアレなので二本程ソフトを同梱しました」との事で「Kanon」と「Air」も貰った(苦笑)。

 ここをお読みの諸氏は既にご存じかと思うが、あのPSE法と呼ばれる史上空前の悪法(厳密には経産省官僚による最低最悪の法解釈およびその運用というべきか)のお陰でセガ製ゲーム機は事実上死亡宣告をされたも同然なので、このタイミングでの実機入手は非常にありがたい限りである。


西暦2006年3月4日 “Intellistation”

 x4000のマザーボード以外の内容物を抜け殻になっていたIntellistationに戻す。

 結局の所、指定の専用電源を用意しないと安定性に不安が残る、というのが今回の結論である。

 この作業のついでに、先日中古で買っておいたPX-755AをAT新1号機に取り付け、捻出されたLF-M821をIntellistationに転用。

 これで両機同時にバックアップ作業を実施可能となった。

 ちなみに、数多ある記録型DVDドライブの中からPX-755Aを選んだ理由はZulu2がライティングソフトとして付いてきたからである(笑)。

 機能的にDVD-RAMが非対応なのはちょっと悲しいが、Intellistationで読み書き出来るのでこれが問題になるケースはほとんど無いだろう。

 なお、PX-755Aを動作させてみたファーストインプレッションは、結構好感触であった。


西暦2006年3月9日 “CLD-HF9G”

 PSE法対策第3弾として、CLD-HF9Gをゲット。

 言わずと知れたパイオニアのNTSC LD/CDコンパチプレーヤの上位最終モデルである。

 まぁ、この上にはNTSC LD専用のLD-S9やMUSE/NTSC LDプレーヤの怪物、HLD-X9やHLD-X0があるのだが(大汗)。

 とりあえず現状入手可能で、しかも実家で親に徴発(血涙)されてしまったLVD-Z1と同程度の画が出る機種という事でこれを選んでみた。

 ちなみに、画も中々だったが、Legato Link Conversionの威力で音が結構良いのは意外というか計算外であった。

 まぁ、バブルの申し子であったLVD-Z1と比べると、これは何というか非常にペラペラな感じの造りで、所有する喜びというのがまるで感じられないのだが・・・(苦笑)。

 それでもPSE法のお陰で恐ろしく物いりの今日この頃、「今はこれが精一杯」である(合掌)。


西暦2006年3月11日 “Thunder K7”

 専用電源付きでS2462NG Thunder K7を格安ゲット。

 言わずと知れた、世界初のAthlon MP対応マザーボードである。

 じっくり眺めて判ったのだが、この板のVRMは2相回路が2セットずつ各CPUソケットに接続されており、どうやら4相電源であるようだ。

 しかもケミコンはPCIバス周辺も含めZLを主体とするルビコン製品で統一されており、2相電源で安物ケミコンが混じっていたTiger MP/MPXとは根本的にモノが違ったという事になる。

 実際、これだけ手を尽くして、しかも電源も専用品を新規開発して用意したのであれば、成る程Thunder K7/K7Xで焼損事故が無かったのも道理である。

 今後は、会社に持ち込んでいるZX10(の筐体に突っ込まれたTiger MPX)に組み込んで使用する予定である。

 ・・・つくづく、Thunder系は造りが良いなぁ(溜息)。


 シンガポールから小包が届く。

 昨年末に吹き飛んでくれたSATAで250GBなBarracuda 7200.8だが、店の保証が切れて諦めていた所、某誌でメーカー側の保証が効く場合がある、との記事を見かけ、SeagateのサイトでRMA申請して故障品を送付していたのだが、その代品が今日届いたのだ(喜)。

 ・・・ありがとう、Seagateさん(大感謝)。

 今後もHDDは選択肢にSegate製品がある限り、可能な限りSeagate製品を買おうと心に誓ったことであった。


西暦2006年3月15日 “2型63号”

 2型63号、一応竣工。

 前回から5ヶ月近く経過したが、あんまり代わり映えしない(大汗)。

 今回のお言葉は、PSE法がらみで出た、教授の発言より。

 ここでは極力政治的な話題は避けてきたのだが、今回のPSE法問題は文字通り死活問題の様相を呈しているので、あえて書いておく。

 今回、経産省側は「PSE法に備えて準備をした正直者が馬鹿を見るから」という理由でPSE法は撤回しないと発言しているが、これは屁理屈以外の何物でもない。

 何故なら「正直者」が準備を怠らないことと、PSE法に法律としての重大な瑕疵が存在することの間には、何の相関関係もないからだ。

 論理レベルで致命的に大きな欠陥(憲法で保障された財産権を侵害するという極めて危険な内容を含む決定を、国民の選良たる国会で立法される法律でなく、その法律が定義する政令(これは役人がある程度勝手に決められる)によって、ロクな議論も無しに官僚の一存で安易に定められるというのは、欠陥以外の何物でもないだろう)を持つ法律を、その欠陥や矛盾を指摘されているにもかかわらずゴリ押ししようとするだけでも経産省の厚顔無恥は論外なのだが、その論拠に「正直者が馬鹿を見るから」とは盗人猛々しいにも程がある。

 過去の通産省→経産省が関わった法律で、「正直者が馬鹿を見る」ものが一体どれほどの数に上るのか、彼らはご存じないのであろうか?

 PSE法そのものの立法趣旨はともかく、その運用について見る限り、経産省の担当部局の行いは万死に値するというのが筆者の正直な感想である。

 そんな訳で筆者は現在のPSE法の運用状態については大反対である。

 これは、ビンテージ楽器を除外するだけでお手軽に回避出来る様な問題ではない。

 なんとなれば、この法律が指し示すのは、官僚の一存で国民の諸権利が安易に剥奪されるという最悪の時代の開幕を告げる物であるからだ。

 考えてみるが良い。猶予期間の殆ど全ての期間に渡って中古商品の取り扱いについて一切言及せずにいて(しかもその間に中古の扱いについて問い合わせても明確な回答はなかったという)、いざ猶予期間終了の直前になって突然「実は中古は駄目」と言うのは、自分に不利な手札を伏せておいて後出しじゃんけんをする様なやり方で、猶予期間というものの存在意義を根本から否定する物だからだ。

 こんな卑怯なやり口を使う連中に税金を無駄遣いされているのかと思うと、腹立たしくてならず、また今後を考えると恐ろしくてならない。

 これはつまり、政府の行動が一切信用できない、という事をも意味するのだから。

 それ故、私は今回のPSE法について反対の意見を強く表明する。

 これは前例としてはならない悪法である。


 p.s.一応書いておくが、私はJSPAのPSE法反対署名に署名したので念の為。


西暦2006年4月1日 “HR-W5”

 先日Pzi先輩に頂いた(大感謝)「電源が入らない」HR-W5の修理が完了した、との連絡を受けてビクターのSSへ引き取りに出向く。

 ご存じの方も多いと思うが、HR-W5はビクターのW-VHS機の掉尾を飾る、つまりは同社製アナログVHSデッキの最終到達点となった機種で、現役当時30万以上した高級機である。

 W-VHSというのは、要するにVHS上位互換(メタルテープ使用)でアナログハイビジョンが録画できてしまうという恐ろしい規格だが、実はこの機種、その高価さ故に売れ行きが悪く2000年に一旦は生産終了が決定したものの、NHKがカードキャプターさくらをBSハイビジョンで放送した事でバカ売れし、急遽生産続行になったというとんでもないエピソードがあったりする(苦笑)。

 今回修理に当たって部品の在庫状況を問い合わせたのだが、生産終了が延びたお陰で今も部品の在庫に問題が無い由で、恐ろしく高価な専用ヘッド(部品単体で10万以上する。W-VHSユーザーにとってヘッド故障は恐怖以外何物でもない)も当分は大丈夫、との事だった。

 なお、今回の修理内容は、テープローディング機構の摩耗部品群とコンデンサ1個の交換で、お値段は1万と少々であった。


 HR-W5を引き取ったその足で秋葉原に向かい、トミーテックの「鉄道コレクション」第2弾をボックス買い。

 とりあえずシークレットが出るかどうかは別として、前回の教訓として箱買いが一番効率が良いという事が判ったのでこうしてみた。

 今回のラインナップは高松琴平電鉄62・73・81、総武流山電鉄モハ105、日立電鉄モハ2230、熊本電鉄モハ121、新潟交通モワ51、フリーランス2種(高松琴平電鉄62の前面2枚窓版(2001)と南武鉄道モハ100系統の色違い(103))、それに貨車2種で、1ボックス買ってシークレット(現時点では何かは知らないが、フリーランスで2001があるから、恐らく高松琴平電鉄62の原型仕様あたりじゃないだろうか)以外が揃った。

 前回が鶴見臨港、今回が南武と買収国電が続いたが、果たして次はどうなるのだろうか(苦笑)。

 ちなみに、今回のラインナップに含まれる熊本電鉄モハ121だが、実は私は中学2年の夏の家族旅行の時に、この電車に乗車した事がある。

 その年、小倉-(西鉄北九州線)-黒崎-(筑豊電鉄)-直方-(国鉄筑豊本線(キハ66・67系快速))-小倉-(国鉄日豊本線(特急「にちりん」))-延岡-(国鉄高千穂線)-高千穂-(国鉄バス)-高森-(国鉄高森線)-立野-(国鉄豊肥本線)-熊本-(タクシー)-藤崎宮前-(熊本電鉄)-菊池-(熊本電鉄)-北熊本-(熊本電鉄)-上熊本-(熊本市電)-熊本-(国鉄鹿児島本線)-大牟田-(西鉄大牟田線(2000系特急))-天神というかなり強行軍な北九州乗り潰し(3泊4日)を画策して、熊本電鉄の泗水-菊池間(熊本電鉄の乗り場への道順を尋ねた熊本駅の案内センターの係員がボンクラで、藤崎宮到着が遅れてその日の菊池行き最終電車に乗り損ねた。思えば夕方6時台で最終電車だったのだから、乗り継ぎ失敗の件はともかくとしても末期症状と言うか何と言うか、ひどい運行状況だった)以外は乗車完遂したのだが、その際北熊本-上熊本間の支線でお世話になったのがこの電車だった。

 振り返ってみると、あの旅行で乗車した電車は小倉-姫路間の0系新幹線電車(NH編成だった)を含め、筑豊の2000形連接車と熊本市電1200形以外ことごとく廃車・廃線・改造で姿を消すか変えるかしており、20年の歳月の重みが痛感されるのだが、乗車後程なくして路線の短縮と車両の総入れ替えが実施された熊本電鉄に関しては、とにかくその凄まじいポンコツぶり(合掌)が強烈に印象に残っている。

 藤崎宮前-泗水間で乗車したモハ201(元東急デハ3200形)の車内のペンキがひび割れて酷い状態だった事と、菊池-北熊本間で乗車した元静岡鉄道クモハ100形の車内でカーブにかかるたびに吊り輪がぶつかり合って凄い音がしていた事も印象深いのだが、それ以上にリベットだらけの小柄で無骨な車体に立て付けの悪いアルミサッシを無理矢理はめ込んだ、このモハ121のひどくミスマッチな、そして妙に小汚い出で立ちは今も忘れられない思い出である。

 まぁ、そんなポンコツだったからこそ路線短縮の憂き目にあった訳だが、それにしてもバブル経済がピークを迎える前夜のあの時代でさえ、くたびれきった買収国電やいわゆる川崎造船スタイルの初期鋼製車が主力というのは流石に他所にはなかった。

 随分経ってから乗車した高松琴平電鉄も大概だったが、あちらは総ばらしして組み直すなど、古いは古いなりによく手入れされていたのに対し、こちらは車両も線路も朽ち果てるに任せている部分があって、「一体どこへ連れて行かれるのだろうか」という微妙な恐怖感があった(苦笑)。

 そんな事を思い出しながら今回のモハ121を取り出してみたのだが、妙に小綺麗にまとまっていて、ちょっと不満である(苦笑)。

 ・・・いや、小綺麗どころではない。

 実物は薄汚れている上にもっとずっと色褪せていて、こんな鮮やかなカラーリングじゃなかった(笑)。

 そんな訳で、他はともかくこの製品についてディティールアップされる際には、強烈なくらいにウェザリングする事をおすすめしておこう。


西暦2006年4月2日 “模様替え”

 HR-W5の導入に伴う室内の模様替えを実施。

 色々検討した末、CRTを置いているデスクの横にあるスチールラック(4段構成で組んである)の最上段にアンプ(PM-14(PM-14SA相当にアップグレード済み)を、上から2段目にはW-VHS(HR-W5)とLD/CDプレーヤー(CLD-HF9G)、MIDI音源2台(MU100R・SC-88Pro)、GbE Hubとルーター、それからSUNの411(外付けSCSI機器ケース)に入れた光学ドライブ3台(PX-R820Ti・PX-40TSi・CDU948S)を、3段目にはスピーカー(System2)の片割れとDAC代用のDATデッキ(DTC-57ES)、それにDreamcastを、最下段には今まで通りIntellistation M Proを、という構成で突っ込んでみた。

 これまでは机上に置いたCRTの下にS-VHSデッキ(HV-V700)とDATデッキを置いていたのだが、これがどうもS-VHSデッキの寿命を縮めたように思われたので、ラック収納にしたのだが、副産物として配線の最短化が実現されたので、恐らくこれが現状最良のレイアウトだろう。

 問題は、これだけあれこれ動かしてもとうとうSCSIフラットベッドスキャナ(GT-9600)の居場所を見つけてやれなかった事で、これは当分必要なときだけ引っ張り出して接続することになりそうである。


西暦2006年4月8日 “Thunder2500”

 久々にTYANの怪作、S1867 Thunder2500を入手。

 結構安価に入手したが、未開封のLVD 68ピンSCSIケーブル(ターミネータ付)が同梱され、以前入手した時には既に喪われていた正規のマニュアル冊子も付いていたので、かなり満足度が高い。

 もっとも、所詮はPentium IIIマシンなので性能的には大した事は無いのだが、それでもECC付きRegisteredタイプのPC133 SDRAM DIMMを同容量・同仕様で2枚1組にして4組で合計1GBのメモリ(ジャンク品を別途調達した)と、シングルとは言え933MHz版のPentium III(元々はSUPER PIIIDMEに使っていた手持ち品)を組み合わせ、更に10,000rpm級のSCSI HDDを繋いでOSをインストールすると、結構高速に動作する様になった(苦笑)。

 まぁ、コレクターズアイテム的な性格が色濃いが、相性問題を乗り越えて一旦動くようになりさえすれば非常に安定動作するタイプの板なので、その内何か使途が見つかるかも知れない。


西暦2006年4月12日 “失敗”

 手違いでThunder 2500を破損した模様。

 ビープ音が短く4回鳴る(1-1-1-1)だけで起動しなくなってしまった。

 マニュアルやPhoenix BIOSのビープ音一覧を探してみたが、該当するものが存在せず、一体何を示しているのかさっぱり判らない。

 只、実装CPUやメモリ(わざと1枚挿しとかにしてみた)によってメモリエラーのパターン(1-3-3-1)に変化したりしているので、ある程度まではPOSTが進んではいる様だ。

 非常に気味が悪いが、流石にこれは手に負えない。

 そんな訳で折角のThunder 2500だが、あえなくお蔵入り決定と相成った(合掌)。

 まぁ、これに手をかけるならThunder K7搭載のZX10とか他のマシンを拡充する方が正解か・・・。


西暦2006年4月20日 “双発”

 格安出物があったので、少々無理をしてOpteron 248を2基とPC3200 Reg.ECC 512MB DIMM 2枚を購入。

 Rev.CGの少し古いタイプのコア搭載でSSE3非対応だったり色々細かい部分がこれまで積んでいたOpteron 252のE4コアに劣るが、ある程度以上の速度でDual化出来る事のメリットの方が遙かに大きいと判断した。

 このタイプなら初期リビジョンのThunder K8Wでも問題なく動く、というのも購入理由の一つである(謎)。

 帰宅後、早速AT新1号機のCPU交換とメモリ増設を実施したが、やはりというか何というか、いかに高速なCPUでもシングルでは色々不都合があった事を再確認する結果となった。

 こんな事を書けるのは、交換したCPUが2ランク下とは言え、Athlon64だったら3700+に相当する性能を備えている石だったからだ、という話もあるが、これまでレイテンシを低く設定したら簡単に音飛びしていたPhase 24 FWのASIO経由での出力が比較にならないほど安定し、複数のウィンドウを開いて同時進行で他の作業をしていても問題なくなったのを見ていると、やはりマルチタスクOSにおけるSMP環境の威力は絶大なのだと判断せざるを得ない。

 これについては、私がOpteron 252単発の演算速度を真に必要とする様な使い方をしてきたからだ、という見方も出来るのだが、超高速CPUの単発搭載はピーキーかつ極端な偏りのある挙動で非常に扱い辛かったのも確かである。

 無論、Opteron 252以上の双発、あるいは4発化が出来ればそれが最高なのだろうが、今度の248双発でさえ暴力的といって良い程のクイックレスポンスが実現するのを見ていると、当面はこれで全く問題ないだろう。

 良い買い物であった。


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