原マスミ 「イマジネイション通信」
27WXD-117 / WAX RECORDS
1989/5/25発売
1.ズットじっと
2.月と星のボンヤリ
3.月面から目薬
4.カメラ
5.アブク
6.天使にそっくり
7.心配
8.仕度
9.青い夜
10.ピアノ
異才、という言葉がある。
無論、字義通り「特異な才能」という意味だが、原マスミほどこの言葉の似つかわしいアーティストというのはちょっと他に思いつかない。
次の瞬間に対する予想を覆す、いや想像を絶する言葉が手繰る様に紡ぎ出される歌詞、不協和音的な変拍子を含む自己主張の強い演奏で、てんでバラバラの方向性を示しながら、まるで自然石を積み上げた古城の石垣の様なしたたかな安定感をもたらす楽曲の数々、そして何より他では真似の出来ない特異なヴォーカリストとしての存在感。
それらをひっくるめて一言で説明する言葉を探してみても、「原マスミだ」、と言う以外上手く説明出来そうにない。
これは、その原マスミのアルバムデビュー作にして、今なお最高傑作と評される名盤である。
これの原盤は1982年に発売されたLPで、1989年に徳間ジャパンのWAX RECORDレーベルからWAX great CD masterpiece seriesの一環として復刻発売された。
恐らく、そのキャラクターの持つ個性の強さ/異様さ故に好き嫌いのはっきり分かれるアルバムであると思うが、作品としては隙が無く、その完成度は尋常ではない程高い。
そこに展開するのは、ある意味で現実からひどく遊離した、おとぎ話の様な夢想の世界であるが、おとぎ話の多くがそうである様に、それらは時に鋭く、時に無邪気に、最も残酷な現実をえぐり取るのだ。
実は、後で出た2枚のアルバムに収録されていた分も含めて、彼の手がけた歌詞の数々を収録した詩集が1990年代初頭になってから角川文庫で刊行された事があるのだが、彼のあの歌声を離れた場所で活字として立ち現れたそれらの言葉の持つ、予想外と言っていい研ぎ澄まされたシャープさに驚かされた覚えがある。
そう、彼は歌手である以前に立派な現代詩人であると見るべき(まぁ、下手な現代詩より余程凄みのある歌というのは存外多い物なのだが)、一流の表現者なのだ。
こんな歌手がアルバムデビュー出来た、そして受け入れられた1980年代前半という時代は、きっと多様性という言葉に対して余程寛容な時代であったに違いない。
何故ならこれは、表現者としての必然性に迫られてではあるにせよ、言葉の表現という物の自由度に対して勇敢に踏み込んだ作品であり、しばしば社会はそれを不道徳だ、とか教育上宜しくない、とかいった理由を付けて排除しようとするからだ。
先日の「パンク君が代」事件、あるいは同じ忌野清志郎になるが、RCサクセションの「COVERS」を巡る一連の騒動を見れば明らかな様に、この国の憲法が明記している「表現の自由」は、必ずしも遵守されて来た訳ではない。
表に出ない物も含めればレコ倫、あるいはレコード会社の思惑で闇に葬り去られた/修正させられた作品はかなりの数になる筈だ。
そう考えると、このラジカルなアルバムがそのままで世に出たというのは一つの奇跡に思える。
まぁ、一見当たり障りが無く、政治的/社会的な問題を取り扱っていなかった為とも考えられるが、逆に言えばこれがOKという事こそが、レコ倫とやらの規定の運用のザルぶりを示している様で興味深い。
この頃は「ニュー・ウェィブ」と後に区分される事になる、多様で個性的なバンドを、あるいは作品を多数輩出した(一方でどうしようもないバンド・ユニットも当然の様に多数出たが)時期であり、この後訪れるバンド・ブームの時には随分沢山のフォロワーを生む事になるのだが、他の幾つかの一流と呼びうる個性派アーチストがそうであった様に、原マスミを模倣しようという勇者(笑)は遂に現れなかった。
それは、原マスミが唯一無二の希有な存在である事を証明する物であるが、同時に模倣しても商業ベースでの成功が望めない(商業ベースである程度成功しようと思えば、成功している者を模倣すれば良い。但し、表現したい何かを持たない場合、表現者としての尊敬を勝ち取る事は出来ないが)事の証でもある(苦笑)。
実際、このアルバムは吉本ばななに絶賛されるなど、傑作の誉れが高い割にはレコード時代も含めあまり売れなかったらしく(何しろ再発元がWAXだ)、現在も一応販売され続けている様だが、市場で見かける事は余り無い。
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