PC-9801BX/U2
CPU:
i486SX 20MHz → Am486DX2 66MHz
RAM:
1.6MB → 1.6(内蔵)+ 4(専用ボード)+ 2(PC-9801-61 SIMM)* 4 = 13.6MB
HDD:
100MB (IDE) → 340MB(IDE)+ 730MB(SCSI-2)
FDD:
3.5inch 3 Mode *2
拡張機器:
(グラフィック・アクセラレータ)
(サウンドボード)
? → Sound BLASTER 16/98 / Creative
(SCSIボード)
初のデスクトップ98。
これも事前にグラフィックボードにサウンドボード、CPUアクセラレータ、そして専用メモリとあちこちからパーツをかき集めた上で1995年夏前に中古で購入した。
ちなみに、早い時期からこれに挿していたFM音源/フロッピーディスクインターフェイスボードは、確かαデータか何処かの製品だったと思うが、リアパネルを占拠する巨大な拡張フロッピーディスクドライブ用インターフェイスのせいで直接的な音の入出力端子が付けられず、「音声信号を一旦FM信号に変換して電波として送信し、手近のFMチューナーで受信して利用」するという前代未聞のFM送信FM音源ボード(注1)となっていて、音質も何もあったものでは無かった。
で、流石にこれには懲りてSound BLASTER 16/98のPC-9801-26互換チップ&ADSP搭載バージョンに当時手持ちのWave BLASTER II(注2)を載せて使う様になったのだがこれも結局音質的には×で、当時流行の「マルチメディアパソコン」の実態がどんなモノであるかが何となく見えてしまったりした。
実際あの当時の一般向けでまともな音が出ていたサウンドカードというのはGUSなどのごく限られた製品しかなかった筈だが、良くもまぁあんな音で「CD並のクオリティ」などと言っていたものだと思う。
この為、個人的には以後SPDIF等のデジタルI/Oが付く様になるまで通常のPC向けサウンドカードが信用出来なくなった。
話をBX本体に戻すと、起動時のメモリカウントのあまりの素早さと初体験となったグラフィックアクセラレータ(GA-1280A)動作時のWindows 3.1の高速描画に、「さすがは486マシンやのう」などと他愛もなく感動した覚えがある。
勿論、半年もしない内に低速さが気になりだした訳なのだが。
当時この機体にはメルコ製の3倍速CPUアクセラレータ(注3)が挿してあったのだが、乗っているCPU(Am486DX2 66MHz)はそれなりにマトモだったにもかかわらず、何故か3回に1回位起動に失敗する(注4)という悪癖があった。
これの原因はしばらく分からなかったのだが、後日別件で分解した時に判明した。
何とこの機体、基板上のパーツが大胆に省略されていたのだ。
後で知ったのだが、どうやらこのBX用基板は元来I/O系に5MHz系分離クロックを持った33MHzマシンとして設計されていたらしく、その辺の関係で8MHz系同期クロックを持つ25MHzマシンとする為に無理矢理ジャンパを飛ばしたりして回路省略(注5)してあった。
逆に言えば、省略された部分を解析して復元すれば性能向上が不可能では無い訳で、実際今は亡き「ざべ」誌に掲載されたクロックアップ改造記事ではそこを突いた改造が紹介されていた。
で、意を決してこの改造を行う事にして現物と記事を見比べていたら更に酷い事実が明らかになった。
驚いた事にこの機体、記事に出てくる機体よりも更に回路簡略化が進んでいたのだ。
今考えても凄い話だと思うのだが、本来ならばCPUに供給される20MHzのクロックは、オシレータが発振する40MHzの原信号を分周して生成されたそれなりに高精度な物が用いられる(注6)のだが、何を考えたのか私の手元にあったこの機体では20MHzのオシレータがCPUクロックの信号線に直接半田付けしてあるという、信号の精度や信頼性を考えたら悪夢そのものみたいな回路設計にされてしまっていたのだ。
そして、これこそがCPUアクセラレータ搭載時の起動失敗多発の原因であった。
本当はこの部分を直したかったのだが、そもそもクロック信号を分周する為に必要なICの入手が地元では困難(注7)であった事と単純に1.5倍速基板を外して20*2=40MHzで動かすと起動失敗はなかった事から断念した。
かくして基板改造に手をつけ、見事ベース33MHz駆動仕様に改修する事に成功したのだが、そこに大きな落とし穴が待っていた。
組立作業中にうっかり基板を踏んづけて割ってしまったのだ。
かくして我がBXはベース33MHz駆動化に成功しながら短い生涯を終えた(合掌)。
ま、アレだ。
「勝負に勝って試合に負けた」
って奴だな(苦笑)。
このマシンの死体は解体され、CPUアクセラレータは搭載されていたAm486DX2 66MHzだけを抜き出して次なるAsに持ち越され、メモリボードやCバス拡張ボード群もそのままで同じくAsに、そして最後に3モード動作をするFD1138T系列の貴重なFDDは暫く温存された後、次の次に買ったAs2でのFDD増設に再利用されているので結果的にはそれ程甚大な被害とはならなかった。
まぁ、そうは言っても手痛い失敗であった事には変わりはないのだが・・・。
(注1):記憶に間違いがなければ型番はADFS2。本文中でも記したが50ピンフルピッチのアンフェノールコネクタが実装され、確かその脇にはATARI規格準拠のジョイスティック端子が付いていた。FDインターフェイスをハーフピッチコネクタにして音声系端子を実装し、フル−ハーフ変換ケーブルを添付すればずっとマトモな製品になったと思うのだが、何故か音声出力をFM変調して電波に乗せるという頭の悪い仕様となっていた。
(注2):MIDI規格準拠音源モジュール。ちなみに98もAT互換機も持っていなかったのに、当時それなりのお値段の付いていたこれだけを先に持っていたのは、汎用MIDIシンセとして使える様に改造する計画(結局頓挫した)があった為である。
(注3):HBX-20TYという名の、20MHzを変換基板で1.5倍して30MHzにしてからDX2内蔵クロックダブラーで2倍速60MHz駆動するという設計の物。これは今にして思えば後のNV4下駄に至る一連の同社製クロック変換回路搭載下駄の最初期の製品であった訳だが、当時はかなり怪しく見えた。
(注4):メモリカウント中にエラーが出て停止する。総じて98はメモリ周りについて安定志向のチューンがなされていたので、これが出るというのは余程深刻な状況であった。
(注5):それも、肝心要のCPUクロックを生成するブロックが、である。当時見かけ上影響が無いふりはしていたが、NECにとってCOMPAQショックが如何に大きかったかが伺えよう。
(注6):中にはX68000シリーズの様に40MHzの4分周で10MHzを、66.MHzの4分周で16MHzを生成してMPUに供給していた機種さえあった。但し、この辺の分周によるクロック供給回路はこの後コストや同期の問題からPLL-ICによるクロック生成へと移行する事になる。
(注7):当時の筆者の行動半径内では、そもそも74LSシリーズのICの入手さえ難儀であった。
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