PC-9801NS/E


CPU:

i386SX (P9) 16MHz

RAM:

1.6(内蔵)+ 8(専用カード)= 9.6MB

HDD:

80MB (IDE)

FDD:

3.5inch 2 Mode

 

拡張機器:

CRT出力パック

 (メーカー・製品名不詳)


 私にとっての「始まりの98」。

 確か1995年春頃にFD故障のジャンク品(注1)を安価で買って来て、NECのサービスセンターに持ち込んで修理して貰った上で、中古で見つけた80MBの対応HDDとCRT出力パックを取り付けて使っていた。

 ちなみにこのマシンの故障は実は筐体設計のミス(注2)が原因で、その筋で聞いた所ではNS系98noteの故障原因ではダントツのトップがこれであったそうだ。

 当然ながら、と言うべきか修理に当たっては補強を施した新設計の部品への交換が行われたらしい。

 この機種の本来の購入目的は「X68では性能が発揮出来なかったLP-9000(プリンタ)の性能をフルに出す為にWindows 3.1環境を整備する」だった筈なのだが、実際には前述の通りCRT出力パックを買ってきて16色対応のDOS版アダルトゲームばかりしていた気がする(苦笑)。

 それは他のマシンとのまともなデータのやり取りの手段が2HDのフロッピーディスクとRS-232Cポートによるシリアル通信しかなく、本体にSCSIコネクタがないので68の様にMOドライブを繋いでバックアップ/転送という技が使えなかった事に理由があり、更にこの機種にSCSI機器を繋ぐには本体背面に用意された110pin拡張スロット(注3)に繋ぐ高価なSCSI拡張BOXが必要であった事が追い打ちをかけた。

 実際、このSCSI拡張(&FM音源)モジュールの値段が高価だった事は後日生じたデスクトップ機への乗り換えの大きな理由の一つともなった。

 なお、専用メモリカードはバス幅が16bit(注4)な上に省電力対応という事で反応速度が極端に遅く(注5)、Windows 3.1は一応動くには動いたがそれだけのものでしかなかったというのもゲームに走った原因ではある。

 まぁ所詮はDOSノートであったという事だ(苦笑)。

 もっともDOSノートとしてのこの機体には殆ど不満がなかったのは事実で、細かな部分の造り込みに感心した記憶がある。

 ノート機だけに簡単に持ち運び出来て都合が良かったのだが、結局拡張出来ない事に困った末、次のPC-9801BX/U2に乗り換える事になった。

 ちなみに、このマシン自体はその資金捻出の為に当時FM TOWNS IIユーザーだった森瀬君に売り付けたのだが、彼も結局デスクトップ98(最初はXb10だったか)を買って他の知人に再転売した。

 その後、その買わされた知人氏にお会いしたのだが、当然というかちゃんとしたデスクトップマシンを持っておられた。

 やはりこれはノートであってメインマシンにする物ではないという事だろう。


 (注1):当然HD無しだったが、何故か不思議な事に8MBの専用メモリカードは入っていた。

 (注2):液晶パネルを含む蓋の部分の開閉用ヒンジ基部の設計が甘く、蓋を閉じようとした時にヒンジがきっちり閉じずに筐体側の固定用支持部分の基部が割れてしまい、開いたままのヒンジが梃子の原理でFDDを押して破壊してしまうという現象が起きていた。

 (注3):信号線レベルではCバス互換の拡張バス端子。Cバス完全互換故にこのコネクタに接続するCバス拡張スロットBOXも販売されていたが、専用モジュールを使うにせよ、拡張スロットBOXを使うにせよ、コスト的にかなり割高であった。

 (注4):そもそも開発コードP9として知られるi386SXの場合、汎用レジスタなどの内部論理回路は確かに32bit構成だが、外部バス幅は16bitしかなく、これは当然の事なのだが。なお、このチップは元々AMDなどのセカンドソース版286潰しを目的に開発されており、既存の286マシンのCPU周りを少々設計し直すだけで実装可能となっていた。この事が、後の変換下駄を介したCPU換装ブームの伏線となったのは言うまでもない。

 (注5):それは起動時のメモリカウントを見ていれば厭でも気付かされた。オンボードの1.6MBをカウントしたところで急にカウントスピードが落ちれば気付かない訳がないだろう(苦笑)。


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