電車の制御器について
1895年の京都電気鉄道(後に京都市交通局が買収)の営業開始以来、我が国では新幹線を始めとして様々な電車が用いられてきた。
今の我々の周りを見渡してみても岡山電軌、JR在来線それに新幹線と、同じ電車というジャンルに分類されるにしても随分異なった形態の車輛が走っており、鉄道愛好家の大半はその形態的相違にこそ興味を抱いている。
実際、そういった愛好家達を対象とした書籍の大半が形態分類的な面から見た電車の区分にその紙面の大半を割いている事から考えてみても、その傾向は明らかであろう。
だが、一見しただけですぐに判別できるその千差万別な外観とは異なり、根元的な意味で電車を電車たらしめる要素である筈の、電動機や制御器といったいわゆる機器については、多種多様な物が存在するにも関わらず、その詳細を知らない人間が愛好家でも意外な程に多い様である。
そこで今回はその電車用電動機と制御器について、特に制御器の変遷を中心に調べてみた。
現在の我が国においては、大別して直流直巻(一部に複巻)整流子電動機と三相交流誘導電動機のいずれかが電車用電動機として用いられている。
もっとも、過去の交流電化勃興期に遡れば、整流子式交流電動機や単相交流誘導電動機を搭載した電車が作られた例があるのだが、それらはあくまで試作段階にとどまり、最終的に営業運転に供する為に必要な条件を充足出来なかった為に淘汰されてしまっている。
海外を見渡してみると、TGVに代表されるフランスの電車/電気機関車では回路構成が簡潔で済ませられる同期式交流電動機が好んで用いられているものの、様々な事情から我が国では先述の2種類が現用されるのみとなっている。
その2種類の電動機の技術的特徴は以下の通り。
直流整流子電動機は、我々がモーターと聞いて通常想起する物その物である。
つまり、模型用として一般的に用いられる「マブチモーター」と原理的には同様の物であって、円筒形の界磁コイル(マブチモーターでは永久磁石が用いられている部分であるが、電車用電動機の場合、一般的には磁力の永続性や後述する制御器の関係でここもコイルを巻いた電磁石とされている)の中に、電機子と呼ばれる磁極をその両端にして回転可能な電磁石が納められ、この2つの部品間の磁力による吸引と反発によって動力を得る。
なお、通常の場合はその電機子と界磁は回路的に直列に接続されている(これを直卷式と呼ぶ)のだが、一部の車輛には界磁コイルを複数回線同時に巻いておいて、その接続を直並列切り替えできる様にした複巻式電動機と呼ばれる物が存在する。
この直流整流子電動機は回転数とトルクの制御が比較的容易であった事から、実に百年以上にわたって殆ど改良無しに使用されてきた。
だが、その制御の容易さとは裏腹に電機子に対して電力を供給する整流子(一般には「ブラシ」と呼ばれる部品の事である)が磨耗しやすく、なおかつ接触不良に起因するフラッシュオーバーという現象によって焼損する可能性があるという構造的な問題を抱えており、百年にわたる歴史は正にそういった不具合との戦いの歴史でもあった。
これに対して三相交流誘導電動機は、誘導コイルと呼ばれる電動機外周を構成する筒型の電磁石と、その中に納められたアルミ製の「かご」で構成される極めて単純な構造の電動機である。当然ながら、その構造の単純さ故に長らく電車用電動機としての利用法が研究されてきたのであるが、後述する特性的な問題の解決の困難さから、基礎研究で先行した欧米諸国でも70年代初頭、我が国においては1982年に建造された熊本市交通局8200形の出現まで充分実用に足るシステムを構築する事が叶わなかった。
これは、その実現に当たっては半導体素子の進歩が必須であった為であるが、その問題が一応解決した現在では、国内で建造される電車の大半が三相交流誘導電動機を搭載するまでになっている。
直流整流子電動機の制御法は大きく分けて電機子制御と界磁制御の2種類が存在する。以下では我が国で見られたそれぞれの各方式について解説しよう。
直流整流子電動機(以下直流電動機と略記)の電機子にかかる電圧とその回転数の間には、基本的に正比例の関係が成り立っている。
この事から、古来より直流電動機の回転速度調整には、起動時に電動機の端子と電源の間を結ぶ回路に電圧降下を目的とした抵抗群を挿入しておいて、次第に加速するにつれて挿入された抵抗を段階的に切り放して行く、抵抗による電圧制御が多用されて来た。
これこそは我が国初の電車から、いや1879年にベルリンの博覧会で運転されたジーメンスの電車以来、現在に至るまで延々と用いられ続けている、最も単純で信頼性の高いシステムである。
しかし、いかに回路的に単純であり、かつ起動加速時に幾ら段階的に切り放しつつ用いられてはいるとは言うものの、抵抗で電気を熱に変えて放出しているので、エネルギー効率的な観点からいえば最低の方法である。
更に、抵抗器で電力を熱エネルギーに転換して放出している事から排熱に制限の多い地下鉄を中心に嫌われており、現在では次第に減少しつつある。
抵抗制御は多接点の回路の組み合わせを切り替えて行う段階的な制御とならざるを得ない。
それ故、乗り心地や車輪の空転時の制御という面で問題が多かった事から、乗り心地の向上と粘着特性の改善を図って無段階無接点制御を目指す動きは大戦前から存在していた。
その中の一つに一定周波数でモールス信号の様に電力を高速スイッチング(これをチョッピングという)して供給し、そのデューティ比を、つまり単位時間当たりに電機子に印加される見かけ上の電圧を次第に変化させて速度制御してはどうか、という提案が大戦前のドイツであった。
これは当時の技術力ではとうてい実現できかねる、ある意味非常に空想的な(その時はモーターにつながれたカム軸を高速回転してスイッチング制御をする事が提案されていたらしい)提案であったから、さすがに実用化に向けた研究を行う所までは行かず、放置されていた。
だが、適切な電子的デバイスが存在するならばこれ程魅力的かつ合理的な制御方法も無い訳であって、高速スイッチング動作可能でなおかつ高電圧・大電流に耐える大容量のサイリスタ(かつて存在した「サイラトロン」と呼ばれる真空管と似た働きをする為にこう命名された)という半導体素子が実用段階に入った1970年代初頭には、この理想の制御システムを実用化に持ち込む動きが急激に起こった。
我が国でこのチョッパの実用化に、特に大容量の素子を必要とする電機子チョッパの実用化に熱心であったのは、帝都高速度交通営団(営団地下鉄)と阪神電気鉄道の2社であった。
これは、双方ともに高加減速の機会の多い路線特性を持つ関係で、これに先行して実用化した界磁チョッパ制御(後述)では起動時の加速性能という点(平均駅間距離が1Km以下と極端に短い阪神では特にこれは重要な問題であった)で著しく不利であった事に理由がある。
加えて、電機子チョッパでは抵抗制御の必要が皆無となる事から、走行時の排熱が著しく減少するというメリットがあった。
これは地下水汲み上げの急進でトンネル内の温度上昇が問題となり始めていた70年代初頭の営団の場合、建造コストの上昇と引き替えにしてでも早急に解決せねばならない深刻な問題であった事には注意する必要があるだろう。
事実、これ故に以後の各地の地下鉄用新車にはVVVFが安定段階に入る80年代後半まで、このメリットあるが故に高コストに目をつぶってでも電機子チョッパを採用する例が相次ぐ事になる。
ただ、逆に言えばそういった放熱問題を考慮する必要性の低い郊外電鉄では、これは不必要とは言わないものの明らかにオーバースペックな機器であって、その高コスト故に先述した阪神電鉄(先行試作車となった7000系電車は、技術的な制約からチョッパ機能を力行に限定した急行用の俗に言う「赤胴車」であったが、それ以外は「ジェットカー」と呼ばれる1kmを1分で走り切る超高加減速通勤車に電力回生制動機能込みで採用)以外では地下鉄乗り入れ専用車、或いは電機メーカーの試作品の実用評価試験用の試作車といった特殊な事例を除き、我が国の郊外電鉄で電機子チョッパを搭載した車輛が建造された例は殆ど無い。
その名の通り界磁に流れる電流量を制御する事で速度制御を行うシステムである。
これは、直流電動機の回転数がその電機子にかかる電圧に比例するだけではなく、その界磁コイルの磁束密度に反比例する性質を持っている事を利用している。
具体的には界磁コイルの途中にタップを出して回路をバイパスしたり、逆に半導体等で構成されるブースター等を用いて増幅したりして界磁の磁束密度を変化させ、それによって電動機としての特性を変えて回転数を制御するという物である。
このシステムの実用化は段階的に行われ、まず1910年代に弱め界磁制御として界磁を一定率(通常は30%位)カットして定格回転数以上の高速回転で最高速度の引き上げを図るシステムが普及した。
これは、ほんの少ししか電流の流れない界磁を制御する事はともかく、その為に定格を大幅に超過する大電流が流れる恐れさえある電機子とそれに付随する整流子の設計が、特に高速回転に伴う整流子のフラッシュ・オーバー対策が大変困難な為であった。
その後随分経ってから、単一の界磁にタップを出すのではなく、2つの界磁を同時に巻いた複巻電動機を用いて、その回路的な組み合わせの切り替えとマグアンプを用いた磁気増幅、或いは当時登場したばかりのゲルマニウム・トランジスタによる制御回路を利用したパイロットモーターによる精密界磁制御(中にはそういったいわゆるハイテクに頼らなかった例もあるが)を組み合わせる事で幅広い領域での界磁制御を実現した車輛が京阪電気鉄道や京阪神急行電鉄(現阪急電鉄)といった関西の私鉄を中心に幾つか出現した。
この背景には、複巻電動機だと容易に電力回生制動(電動機を弱め界磁状態にして架線電圧よりやや高い(高すぎてはいけない)発電電圧に維持すれば電力を架線に戻せる)が実現可能であった為、という事情があって、要するに急増した列車の運行本数に見合った変電所容量が確保できなかった会社がこぞってその対策として導入した(加速する列車があれば減速する列車もある、という状態さえ維持できれば電力回生制動は非常に有効に機能し、変電所の負担を軽減する効果を発揮する)のである。
もっとも、これは当時としては極めて複雑かつデリケートな制御システムであったから、その実用化には幾つか問題があった様である。
特に、阪急電鉄神戸/宝塚線2000/2100系で採用されたマグアンプによる磁気増幅制御を行うタイプの物は、その根本的な意味での不安定さから、変電所の増強が一段落付いた1968年(皮肉な事に界磁チョッパを搭載した初の車輛である東急8000系が建造開始された年である)頃までに淘汰されてしまっていて、他の電鉄でもこの時期以降その採用例が途絶えてしまっている。
この経験と教訓が次の界磁チョッパ制御や界磁位相制御を生む事となる。
界磁チョッパは安定した電力回生と無段階制御を実現する為に開発されたシステムである。
機構的に見れば、これは小容量のスイッチング素子(一般にサイリスタが用いられる)によって、複巻電動機の界磁に流れる電圧を滑らかに加減する事でその速度制御を行うというものである。
こう書くとかなり簡単な構造の様に思われるのであるが、実際にはその実用化には最適な特性の複卷電動機の設計など、かなり大規模な研究開発を行う必要があり、事実我が国での実用第一号となった東急電鉄8000系電車の設計に至るまでには長期試験が行われねばならなかった。
ただ、その電機子制御に抵抗制御を併用するなど、如何にも過渡期のシステムといった印象を見る者に与える事は否定できない。
とは言っても頻繁に急加減速を行わない、そして界磁制御による高速度域での速度制御が主体の我が国の都市間高速電車の運転特性を考慮すればこれは非常に好適な制御システムであって、回生制動の付加もあって省エネルギー効果はそれなり以上であり、加えて小容量の素子で済む事から建造コストが(例えそれなりに高価で構造上、同一条件では少し定格出力の落ちる複巻電動機が必須であるにしても)安いので、この制御器は60年代後半から80年代終わり頃まで私鉄を主体にかなりの普及を見ている。
界磁の制御にチョッパではなく、交流の位相の制御を用いるシステムである。
当然ながらこのシステムでは界磁に供給される交流を別の電源から取らねばならないが、逆に言えばそこから供給される電力が一定でさえあれば電動機の定格電圧が変わってもほぼそのままで使用可能(チョッパの場合複数の電圧で使用可能な回路構成を行うとなるとかなり複雑な設計となる)だという事であって、架線電圧の昇圧準備を進めていた(600Vから1500Vへ。83年実施)京阪電気鉄道の70年以後の新車に順次導入されている。
このシステムは、低電圧の交流を何系統かに分割し、それぞれの周期をずらした上で合成し、見かけ上の電圧を変えてそれを界磁に流す事でその磁束密度を加減するというものである。
その低圧交流電源としては、制御器そのものの動作や、電気無しには動かない電磁直通ブレーキ、或いは車内灯やクーラーといったサービス機器の動作の為に搭載されている電動発電機(MGと略記。架線から供給される電力で駆動される電動機と直結された発電機で必要な電圧・周波数の交流を得る)やSIV(サイリスタ・インバータの略。MGの代わりにサイリスタによって整流・降圧して必要な電力を供給する)から得られるものを用いている。
要するに原理的な面でいえば界磁チョッパと行っている内容そのものには違いはなく、実際に回路を構成する素子を見ても結局サイリスタを使用しているのであるから、つまるところこれは方式的な相違に留まるものであると言えよう。
それはMGやSIVを複電圧仕様の物としておきさえすれば600/1500Vで両用可能、というこのシステムの特徴を必要としないのであれば何もわざわざ好き好んでこれを使用する理由はない、という事でもあって、後述する添加励磁制御の実用化と普及もあって京阪以外でこのシステムを大量採用した例はなく、当の京阪も昇圧後は添加励磁制御やVVVFを採用する様になっている。
国鉄が主として中/長距離運転用の近郊電車と呼ばれる種類の電車向けとして70年代初頭より延々と研究開発を行ってきて、87年の分割民営化を目前にした85年になって登場した205系通勤電車でようやく実用化に漕ぎ着け、同系が履いたDT50系ボルスタレス台車と共に「国鉄最後の遺産」とさえ呼ばれる程の大成功をおさめた、極めて低コストかつ簡潔な制御システムである。
回路デザイン的には界磁制御のヴァリエーションと位置づけられ、抵抗制御に付加的にMGないしはSIVによる低圧電源を主電源とする界磁制御器を追加する、という構成で用いられる。
このシステムの最大の特徴はその界磁電流の制御法にある。
これまでの界磁制御器の大半が界磁の短絡による弱め界磁制御に主眼を置いたものであったのに対して、界磁に電流を「添加」して「励磁」させる、つまり強界磁状態での電動機の回転数・トルク制御を行う事で抵抗制御の必要を減らす所にこのシステムの着眼点の良さがある。
要するに、回転数を低くしてトルクを稼ぐに際しては、これまでは抵抗を挿入して界磁・電機子共々電圧降下していた(当然、ロスが大きい)のを、逆に界磁を強界磁状態にして電機子を回転しにくくする事で置き換えてしまった(とは言っても強界磁にも限度があるため完全ではなく、起動時には何ステップか抵抗制御が残っている)訳であって、界磁の全電流をコントロールする界磁チョッパと同等という訳には行かないが、それでもかなりの省エネ効果が期待できるシステムである。
加えて、この制御法は当然の様に弱め界磁方向にも適用されるから、単純な抵抗制御器によるものと比較して非常になめらかでスムーズな運転も実現される事になる。
何と言っても「添加」する程度の電流しか取り扱わない事の効果は絶大で、このお陰で当システムを採用した制御器ではチョッパ制御車では怖くて使えなかった低価格・小容量の産業用トランジスタで主回路が構成でき、それ故に信じ難いほどの低コスト化を実現している。
「国鉄最後の遺産」と呼ばれる理由はまさにこの点にこそあって、分割民営化後のJR各社があれ程大量の新型車を一気に建造できたのも、安価かつ高性能なこの制御器あればこそである。
また、通常の抵抗制御に付加する、という構成となっている事でも分かる通り、このシステムはそのまま既存の抵抗制御車に追加搭載可能で、近年在来車の制御器更新に当たってこれを採用する例はJR・私鉄を問わず多数に上っている。
ここまで出てきた電機子チョッパと界磁チョッパの双方を合わせて誕生したシステムであり、直流整流子電動機の制御法としてはほぼ究極と言って良い。
単純に言えばこれは、内部に2系統のチョッパ制御器を組み込んで複巻電動機の電機子と界磁を同時にチョッパ制御するものであるが、当然ながらその艤装にあたっては困難が多く、コンパクトで大出力を保証するGTOサイリスタ(ゲート信号が正の時は主回路に導通し、負の時はオフになる)の実用化無しには到底実現不可能であった。
但し、確かにその省エネルギー効果は絶大であったが、直流整流子式電動機故の整流子の寿命の問題から逃れ得る物ではなく、結局このシステムは結局営団地下鉄01系(銀座線)・02系(丸の内線)・03系(日比谷線)・05系(東西線)に採用されたに留まり、これらもある時期以降の増備車は次のVVVF制御に移行している。
我が国初の本線用交流誘導電動機搭載電車となったのは、国鉄が旧型電車を改造して制作した単相交流誘導電動機を搭載した試験車(クモヤ790)であった。
これは、1960年代前期から中期にかけて国鉄が仙山線で実施していた交流電車開発プロジェクトの一環として制作された物であるが、この時は様々な事情から採用されず、そのまま歴史の中に埋没してしまっている。
これまででも分かる通り、整流子の要らないメンテナンスフリーの誘導電動機を鉄道車輛に用いる事は長い間世界中の鉄道技術者達の夢であった。
実を言えばスペインやイタリアの様に、その特徴に魅せられてそのまま三本架線を張る三相交流電化を本線上で実施してしまった国さえあったし、速度の問題を重要視せずに済む、いわゆる新交通システムやケーブルカーには結構採用例が多いのだが、三相交流誘導電動機には「一定電圧、一定周波数の条件下では一定回転数を維持しようとし、この時の牽引力が最大となる」という特性があり、そのままでは回転数を頻繁に加減する一般鉄道用としては非常に使用し難い機器である為、本線で採用した両国では共に長続きしなかった。
そして、この問題の解決こそが各国の鉄道技術者を長年悩ませてきた問題の一つとなってきた訳だが、その決定的な解決法はなかなか出てこなかった。
例えば、前述した国鉄の試験車は単相交流誘導電動機であるので少し事情は異なるが、その回転特性を生かす為に一切電気的な制御は行わず、只恒常的に発生する出力を効率良く伝える為に、気動車で一般的に用いられる液体変速機や遊星歯車を用いた電磁制御による機械式トランスミッションで変速する、という後にも先にもこれ一例のみの奇想天外なシステムが使用された。
これらは、当然というか内燃機関と誘導電動機の特性の相違から失敗に終わっており、流石に追従する者は現れなかった。
普通ならばこの様な奇策は採られないものであるが、それが採られた事にこの種の電動機の扱いの難しさがあると言えよう。
そういう意味で言えば、82年の夏を前に就役した熊本市交通局8200形こそが我が国における実用三相交流誘導電動機搭載電車の第一号という事になる。
後にVVVF(Variable Voltage Variable frequency:可変電圧・可変周波数)制御と命名された画期的なシステムを搭載して誕生したこの車輛は、路面電車故の低出力車であった。
だが、その低出力(と高周波による軌道信号回路の異常問題を無視出来た事)こそがこの車輛の成功を約束した重要な要素であって、回路を構成する素子の容量的な余裕を十分確保出来るというメリットがあったのである。
これは、逆に言えばそれだけ高耐圧の素子の実用化に難渋していたという事で、事実、熊本市交が8200形を投入した82年の段階ではVVVFの開発で先行していた大阪市交通局(あくまでチョッパ制御にこだわり続けた為にVVVF化に乗り遅れた帝都高速度交通営団と異なり、大阪市交は極めて早い時期からVVVF制御に着目して開発を進めていた)や近畿日本鉄道(近鉄)、それに東京急行電鉄(東急)の三者が何れもVVVF制御の要となるインバーターに用いる素子の耐圧が十分に得られない事に悩まされて実用化に踏み切れないでいたのである。
VVVFは、要するに誘導電動機が「一定電圧、一定周波数では一定回転数を維持しようとする」のならば、その逆に供給される電力の「周波数と電圧」をサイリスタ・チョッパ制御の時と同様の手順でもってコントロールしさえすれば設定次第で直流電動機同様の特性で、もしくは全く新しい理想的な特性でもって電動機を駆動できよう、というものである。
つまり、周波数と電圧という2つのパラメータの組み合わせを、内蔵されたプログラマブルマイコンに記録されたパターンに従って変更してゆく事で誘導電動機に別の電動機のふりをさせる事が出来る、というのがVVVFの重要な点で、実際の試験の結果によれば無段階な制御が行われる為もあって、直流電動機を遥かに上回る粘着力を発揮しているという。
また、整流子が不要になった事から、その分の空間を誘導コイルの増設に用いて一個の電動機の最大出力を大幅に増強出来る様になったというのも重要で、実際現在生産されているVVVF制御車の電動機出力を見てみると、これまでの直流電動機の2倍の出力を実現している物さえ存在している。
このシステムの本格的な新造高速電車への採用は大阪市交20系(84年就役開始)、近鉄1250系(84年就役開始)からとなった。
初期には制御用マイクロプロセッサの容量不足(8ビットのZ80が使用されていたが、複雑な波形制御に追いつかなくなって16ビットのMC68000系等が使用される様になっていった)或いは素子の熱暴走その他によるパンクが頻発して将来を危ぶまれたが、素子製造技術の発達や回路設計上の経験蓄積によって次第に問題は解決に向かい、今や我が国で生産される電車の大半に採用されるまでになった。
ただ、一見万能な様に見えるこの方式にも問題点はあって、起動加速時に発生する特徴的な三段階の高周波音(周波数の切り替えに伴って発生している様だが原因は今一つはっきりしていない)は、騒音公害の観点から言って非常に問題である。
これを解決する為に幾つかの手段や対策が講じられているが、今のところ完璧な解決策は存在しない。
なお、営団地下鉄が最後までチョッパに固執し続けたのもこの騒音問題の為であった。
知っていると思っていた事を案外知らない自分というものを認めない訳にはゆかない、そんな気分になった。
今回の原稿の為に改めて資料を読み返してみて、電車の発達史というものが如何に同時代の電気技術の影響を敏感に受け取っていたかが確認できた事は私にとって非常に収穫だった。
技術に一足飛びは存在しない。たゆまぬ努力と工夫の積み重ねのみが革新的な技術というものを生み出すのだ。
力不足で十分語り切れていない事が幾つかあり、或いは勘違い等も有ろうかとは思うが、とりあえず今回はこの教訓をもって本稿を終えたい。
雑誌:
鉄道ピクトリアル(鉄道図書刊行会)
鉄道ファン(交友社)
鉄道ジャーナル(鉄道ジャーナル社)
電気車の科学
単行本:
鉄道車両メカニズム図鑑(伊原一夫/グランプリ出版)
電気鉄道ハンドブック(電気学会)
一応、当ページの内容の無断転載等を禁止します