岡軌7100型7101・7102

撮影:1994年10月(車庫内の物は許可を得て撮影)


東山電停引き上げ線上で待機中の岡軌7100型7101。7000に比べて冷房装置がコンパクトになった事に注意。

同じく東山電停引き上げ線上で待機中の岡軌7100型7102。保護棒が廃止され、側窓がすっきりした。

岡山電気軌道電車課から頂いた岡軌7100型竣工図。


 7000型の大反響を受けて、岡山電軌初のボギー車にして最も車齢の若い譲受車であった1000型1001・1002(元秋田市交通局200形201・202。1959年製)の車体更新車として、1981年に2両をアルナ工機で建造(当然ながら、以後の新車も全て同社で建造されている)された形式である。

 種車となった秋田市交通局200形は日本車輌/秋田市交通局の力作で、戦後あちこちの路面電車に出現した東京都交通局6000形をモデルとする車輌の一つであった秋田市交通局60形(60という形式自体、6000型との関連づけからの命名である。路線廃止後、この200形同様に大阪車両工業経由で南海電鉄和歌山市内線に譲渡)の改良型にあたり、6000形の面影を残しつつ上手にリファインされた車体に大時代的なトロリーポールを載せた、安定感の中にどこかのどかな印象の漂う車であった。

 この形式が誕生したのは丁度和製PCC車の全盛期で、多少なりともその流行を取り入れた結果、この形式の履く日本車輌製造製NS-14台車には乗り心地の向上と低騒音化を目指して弾性車輪が採用された。


日本車輛NS-14台車。FS-70と比べて軸距が短い。


 この時、カルダン駆動や間接自動制御といった当時のハイテク機構を取り入れず実用的な弾性車輪に留めたのは賢明な判断と言うべきで、その弾性車輪にしても結局は車輪とタイヤの間に挿入されるゴムブッシュが頻繁にゆるむ(東山車庫勤務の職員氏の証言による)等といった保守の問題から、1977年に通常型のスポーク車輪に交換されてしまっている。

 このNS-14台車は急曲線通過対策として軸距が詰められており、それが極端に狭隘な線区を含む岡山電軌初のボギー車として購入された理由の一つと考えられる。

 本来ならば主電動機は日本車輌製造製SN-50N(端子電圧600V時定格出力37.3Kw)であり、従前の諸元表等では7100もその様に記載されていたが、実際には1輛については検査の都合からか7000と共通の三菱電機MB-172NR(定格出力は同じ)となっており、岡山電軌社内での機器の使い回しが徹底している事を窺わせている。

 この1000型は前述の通り岡山電軌の譲受した中古ボギー車中で最も若い車であったが、これも結局軽量構造車体が祟って更新の優先順位が高くなってしまった。

 他の都市の軽量車、例えば超軽量車として知られた元呉市交通局1000形を譲受した松山の伊予鉄道が特に軽量車故の腐食等を訴えておらず、そればかりか自社新製車であるモハ50形後期車を同形式と類似の設計で新造していた事を考えると、岡山での軽量車の腐食進行は建前にしてもかなり特異に感じられる。

 この点について岡山電軌電車課に問い合わせてみた所、「海に近い所を走行する関係で腐食の進行が速かった為」との回答であった。

 海に近い所という意味では松山も高知も広島も似た様な条件であるのだが、あるいは「手入れをすれば使えるが、どうせ更新するのであれば手のかからない車輌を後回しにしたい」という意図による物であったのだろうか。

 側窓が上段Hゴム支持の車輌が優先的に更新されていった事と、数が揃っていて整備に都合の良い3000型が最後まで未更新とされた事から考えると、この仮説が一番妥当に思えるのだが・・・。

 新車体の方は当然前年登場の7000型の改良版で、目に付く範囲でもテールランプの位置変更、側面窓下部の保護棒の廃止&窓の上昇方式の変更、冷房装置のコンパクト化(富士電機FDA2220-1A:冷凍能力20000Kcal/h)、と7000型の使用実績を反映した設計変更が随所に盛り込まれている。


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