トラバーサー(東山車庫)
撮影:1994年10月(車庫内の物は許可を得て撮影)
岡山電軌初のボギー車である岡軌1000型導入時に東山車庫(南)に設置されたトラバーサーである。
トラバーサー、日本語に訳すと「遷車台」となるこれは見ての通り並んで敷設された線路間で車輌を平行移動する為に用いられる機器である。
要するに手狭な車庫で効率よく電車の出入庫を行う(例えば、複数の電車が押し込まれた線があるとすると先頭の電車が故障した場合後ろの可動車が出られなくなってしまうが、トラバーサーがあれば最後尾から順に隣の線を使って送り出せる)為に発明された機器であるが、ボギー車導入期まで岡山電軌はこれを持っていなかった。
もっとも、地方都市の路面電車でトラバーサーを設置した例は少なく、その設置例の大半が大量の車輌を保有する神戸・大阪・京都・名古屋・東京といった大都市の公営路面電車に限られていたのであるから、岡山電軌が持っていなかった事に不思議は無い。
岡山電軌の場合、開業以来の古典的2軸単車群が老朽化によって故障の多発し始めた昭和30年代末期頃には車輌のやりくりに随分苦労していた様であるから、各地の路面電車が全廃されつつあったこの時期、程度の良いボギー車と一緒に中古の安い出物を探していたのではあるまいか。
これは一部文献では大阪市交通局天王寺車庫のものとされているが、そもそも軌間が異なる上に本体の線路の幅を詰める改造をした痕跡が見当たらない為、この来歴には疑問を呈さざるを得ない。
事実、車庫におられた職員の方も、「大阪市電の物とは思えないのだが」と仰っておられた。
但し、大阪市交通局天王寺車庫のトラバーサーを捉えた1966年7月撮影の写真(残念ながらキャブ側の写ったものは今の所見ていない)を確認すると、一端に設けられた小型のパンタを乗せた櫓の構造といい、6本のレール(つまり2*3組)の上を移動する構造といい、駆動系の集中する中央部が広がったフレーム周りといい、確かに東山車庫のそれと似た構成であり、岡山電気軌道と大阪車両工業(岡軌1000型等の改装を担当。大阪市交通局と縁が深かった)との関係等を考慮すると大幅縮小の上で天王寺の物を持って来た可能性も否定できないのだが、岡山には遅くとも1966年7月には設置されていた事を考えるとやはり別物と考えるのが自然と言えそうだ。
だが、それはそれとしてもこれが路面電車の全盛期を物語る貴重な遺構である事には変わりはなく、今では見かける事も希なGeneral Electric製K9A直接制御器(直列5段・並列無し)と上に示す様な鋳鉄製グリッド抵抗器を組み合わせた古典的ハードウェアが今なお可動状態に保たれている事は、もっと注目されても良いだろう。
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