溝口 肇 「A Pretty Dance 」

28AH2203(LP)・32DH695(CD) / CBS SONY

1987/7/1発売


1.PLANT AQUARIUM

2.マガダの時間予報

3.3月うさぎ

4.カラー・ビュー

5.ART CRAFT

6.上海倶楽部

7.7TH BLUE

8.モノクローム

9.ブラック・バード

10.東京幻想曲

11.ウォーター・ダンス


 もし誰かに「貴方にとってこれまでで最も印象の強かったアルバムは?」と問われたとしたら、貴方は何と答えるだろうか?

 無論、人それぞれ千差万別の答えがあると思うが、私にとっては、この“A Pretty Dance”こそがその1枚に当たる。

 チェリストである溝口肇のソロアルバムとしてはデビュー作の“Halfinch Dessert”、それに“水の中のオアシス”に続く第三作目に当たるこのアルバムは、ちょうど私が高校1年生の夏(1987年7月)に発表されたもので、最初に買ったのはLPレコードであった(注1)と言えばどんな時期の話かお解り頂けようかと思う。

 この少し前、当時NHK-FMで放送されていたサウンドストリートという番組(注2)の火曜日(注3)を好んで聴いていて、その中のマンスリーソング(注4)でPSY・Sのデビューアルバム“Different View”(注5)に収録されていた“あなたは流行、私は世間”を溝口 肇が弦楽によるインストゥルメンタルバージョンにアレンジしたのを聴いて、原曲の延長線上にありながら確固たる個性を主張をしているのに強い印象を受けたことがあった。

 聴く方はクラシック狂いの父の影響でかなり鍛えられていたとは言え、音楽的基本素養の欠落した私が聴いても判る位、その演奏には揺るぎない安定感や強さがあって、これは相当なミュージシャンなのだろうな、と思った(注6)。

 それ故、レコード店に出向く度にチェックしていたのだが、そんな時に発表されたのがこのアルバム、“A Pretty Dance”であった。

 宣伝惹句の書かれた帯もなく、真っ白けの地味なジャケットに収められてひっそりと店頭に並べられていた(注7)このアルバムを買って帰宅して封を切り、いそいそとターンテーブルに乗せて針を下ろした時の事は今も鮮明に覚えている。

 「・・・理屈抜きにカッコええ」

 “PLANT AQUARIUM”と題されたA面第一曲は、それ程に圧倒的な力を備えていた。

 溝口自身の手になる力強く印象的なチェロ独奏に始まり、清水一登のピアノ、青山純のドラム、それに渡辺等のベースが追いかける様に重ねられてゆくこの曲は、ある意味意図的に“テクノ”から距離を置いたアレンジが施されていた“あなたは流行、私は世間”とは全く異なる硬質かつ疾走感溢れる世界を形成していて、ラジカルそのものの松浦雅也のフェアライトが加わってなお揺るがない、スタイリッシュかつ高速な、それでいてモダンな感覚とアナログな強さが備わった、これまでにない魅力をたたえていた。

 無論、それは卓越した演奏テクニックを持つ参加ミュージシャン各員の強力無比な演奏があればこその話なのだけれども、シンセやシーケンサーによる打ち込みでなければ得られないと思っていた、ある種の爽快感が限りなくトラディショナルかつオーソドックスなアナログ楽器(注8)のクロスオーバーの中から立ち現れるというのは、幼少期からクラシックばかりを浴びるほど聴かされて育った私には余りに衝撃的な、青天の霹靂とでも言うほか無い出来事であった。

 それはクラシックではなかった。無論ジャズでもなかった。かといって「自然との対話」だのと寝言をぬかす惰弱なイージーリスニングの枠に収まり切る物でもなく、当時私の知る如何なる言葉でも言い表せるものではなかった。

 その後随分たってから、参加メンバーの一人である渡辺等(注9)がこのコンセプトを「人力テクノ」と言い表していた事を知って漸く得心がいったのだけど、そうして改めて聴き直してみると、成る程これは「テクノなドライブ感をたたえた弦楽曲」である事が良く判る。

 それは、これ以前の2枚の溝口のアルバムには見られないコンセプトで、以後二度と現れなかったから、これはやはり溝口のソロというよりはむしろ彼と彼をサポートする渡辺等を筆頭とする“メトロサウンド”人脈に連なるスタジオミュージシャン達の共同作業の成果と見るべきなのかも知れない。

 実際、全体を通して溝口のチェロは彼一人では恐らく到達し得ない様なハイテンションぶりで、その一方で“3月うさぎ”の様に遊び心を示す余裕を垣間見せるなど、このアルバムは彼のディスコグラフィーの中でも異質な、けれども非常に魅力的な輝きを放ち続けている。

 このアルバムが私にとって重要なのは、その完成度の高さもさることながら、「参加ミュージシャンがアルバムの出来を大きく左右する」事に気付かされたが故で、これ以降私は参加ミュージシャンの名に特に注意を払ってアルバムを購入する習慣が身に付いてしまった。

 それ程にこのアルバムの影響力は多大で、参加ミュージシャンを手がかりにアルバムやバンドを辿る作業はやがて、「メトロサウンド」と呼ばれる一大人脈(注10)の生み出した沢山のアルバムに私がどっぷりと、それこそ浪人を繰り返す程どっぷりとハマり込む原因の一つ(注11)となった。

 今にして思えば、中学生の頃にはさだまさしだの嘉門達夫だのを好んで聴いていた人間が良くもここまで方針転換したものだけど、そうさせるだけの力がこのアルバムに備わっていたのは確かである。

 このアルバムは一旦CD化された後、CD選書シリーズに収録されたおかげで今でも比較的廉価に購入できる様であるから、この取り留めもない一文を読んで興味を持たれた方は、是非一度実際に聴いてみられる事をお勧めする。

 また、溝口肇と聞いて“ぼくの地球を守って”のサントラや“エスカフローネ”のサントラを思い浮かべて、ああ、あんな感じか、と思われた方にはこのアルバムはそれらとは「似て非なる」存在である事を特に強調しておきたい。

 彼の最近の仕事があんな感じで、ソロアルバムがこれ以降次第に土俗的な方向に向かったりした事からすると確かに想像しがたいのだけど、冒頭にも記した通り、このアルバムは「理屈抜きに格好いい」のだ。

 これは、80年代前半のテクノポップの流れとイージーリスニングの流れの、長くは続かなかった幸福な結婚の落とし子であり、それ故に唯一無二の存在であり続けているのである。


注釈

1:これは未だに後生大事に持っている。

2:この番組名から佐野元春や甲斐よしひろの名を連鎖的に思い出す方も多いのでは無かろうか。これは確か10年程続いた歴史ある番組で、月曜から金曜までの曜日ごとに担当DJの個性の強く出た構成が印象的だった。1986年度にDJの大半を入れ替えて大規模なリニューアルを図ったが、結局その年の終わり、つまり1987年4月の番組改編で消滅した。

3:長年あの坂本龍一の担当だったが、最後の年だけはPSY・Sの松浦雅也が担当していた。

4:松浦雅也が毎月1曲ずつゲストを交えてオリジナル曲を作る、というある意味とんでもない企画で、後にこれらの大半はAnother PSY・S名義のアルバム“Collection”にまとめられたが、SIONとの共同作品であった12月の“冬の街は”の様に諸般の事情で収録されずに終わった曲もあった。

5:80年代テクノポップの記念すべき到達点の一つにして、そのムーブメントに一つの結論を与えて事実上の終止符を打ってしまった傑作。

6:この1年程前に彼はタバコの“ピース”のコマーシャルの音楽を担当していて、そればかりかその演奏シーンがコマーシャルとしてTVで毎日流れていたのだが、その時はそこまで頭が回らなかった。

7:前述の通りコマーシャルに出演までしていたので注目されてはいたようだが、それなり以上ではなかったらしい。なお、このアルバム以後はソロアルバム以外にも、“世界の車窓から”テーマ曲を筆頭とするTV番組やアニメ(上記した“ぼくの地球を守って”、彼の奥さんになった菅野よう子との共同作業である“天空のエスカフローネ”、それに最近では“人狼”など)のサントラを手がけている。

8:松浦雅也のフェアライトは、あくまで“色付け”的な使われ方をするに留まっている。思えば贅沢な使い方だが、その贅沢さもこのアルバムの魅力の一部である。

9:基本的にはベーシストだが、応用的にはマルチ弦楽奏者。元Shi-Shonen・Real-Fish。後に金子飛鳥らとAdiを結成するも解散。ゴールドディスクに輝いた“Cowboy Bebop”や“Macross Plus”といった菅野よう子によるアニメ作品のサウンドトラック群には大概参加しているので、彼の仕事としてはそちらの方が有名かも知れない。ちなみに、バブル崩壊直前にリリースされた1stソロアルバム“渡辺等とHililipom”(puf-5 / puff up labels 1991)はマルチ弦楽奏者としての彼の資質が爆発した快盤(怪盤?)だが、これは発売元が非常に趣味的なインディーズレーベルという事もあってプレス数が非常に少なく、一度再販されたがそれでも尚、相当なレア盤と化してしまっている。

10:地下鉄よろしく地上からは全貌が見えないが、気が付くと各ミュージシャンをネットワーク状に結ぶ線が存在している事を例えた言葉。その一方の端にカーネーションが存在し、その対極にプリンセスプリンセスが位置したりするのでとても一筋縄では済まない(苦笑)。一般的には80年代のムーンライダース/湾岸スタジオ周辺の人脈とその音を指す事が多い。命名者は当時音楽雑誌編集者の岩本晃一郎氏(インディーズから雑誌コード付きに出世して潰えたPop ind'sという雑誌をご記憶の方には良くも悪くも忘れがたい名前なのでは無かろうか?)だった筈。

11:もう一つはマンガ家わかつきめぐみの諸作から辿った道であるが、これについては書くと本当に長くなるので省略する。


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