いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)

西暦2003年1月−3月分


西暦2003年1月6日 “謹賀新年”

 新年あけましておめでとうございます。

 本年も当サイトを宜しくお願いいたします。

 

 という訳で今年もゆるゆる更新を開始する事とする。

 

 新春は例によって例の通りの奈良旅行で開始した。

 1日は鍋蔵山東明寺と薬師寺、それから石上神宮を、2日は南山城の北吉野山神童寺と普門山蟹満寺、それから大御堂観音寺(息長山普賢教法寺)を回った。

 東明寺以外はどれも既に訪れた事のある所ばかりなのだが、流石に30年も通うと好い加減ネタ切れ気味である(苦笑)。

 まぁ、良いものは何度見ても良いので繰り返し通う訳なのだが、それでもそのたび毎に新発見やら何やらがあるので奈良は侮れない。

 

 で、漸く本日の話である。

 

 中古でBUFFALOブランドのCD-Rドライブを購入。

 RvII26に繋ぐCD-Rドライブが欲しくて捜していたのだが、たまたま訪れた店に丁度良い出物があったので速攻ゲット(笑)と相成った。

 現状ではその予算捻出もかなりシビアなのだが、RvIIの未バックアップデータの扱いを考えるとこの際四の五の言っていられない。

 いや、別にATに繋いだCD-RドライブでLAN経由で書き出すという手もあるのだけど、これは試しにやってみたら物凄く煩雑になる事が判明したので諦めたという経緯があり、やはりPC1台につきCD-R/RW/DVD±R/RW 1台がベストと思う。

 ともあれ、これでPX-W4012TSを買う理由が無くなった(謎笑)。

 PX-W4012TSと言えば、中古屋でPX-W1210TSiの大群を見かけた(笑)。

 ・・・どうやら皆さんW4012TSを買う準備として下取りに出されたよーで(苦笑)。

 

西暦2003年1月7日 “新番組”

 サンテレビで今日より放映の新番組、“ストラトス・フォー”を観る。

 冒頭、オープニングで引きつけられ、「コメットブラスター」に「メテオスイーパー」という台詞が出た段階でノックアウトされる(爆)。

 ・・・尻と胸のアップが多いあたり、何となくそういう方向性なのか? と不安になるし、CG処理がちと生っぽ過ぎる気がするが、筋は凄く良い。

 昨日始まった某大先生のメディアミックス作品が予想通り冒頭アバンタイトル開始の段階で一気に萎えて、オープニング開始5秒で見る気の失せ果てる素晴らしい作品だったのと対照的な出来で、キャラデザが某野尻抱介作品のイラストを描いてた山内則康なのでどうもそっちとイメージがだぶる(苦笑)のが少し気になったけど、彗星を撃墜する為にトライデントミサイルを発射するシーンの本気ぶりを見ていると、これはかなり期待できそうだ。

 熱血エンジニアの佐古先生がイカすしネコの提督もエエ感じだし、ついでに彗星を観測するマニアどもを描くのを忘れてないし(笑)。

 ・・・それにしても倉庫の隅でシート被ってた単垂直尾翼の機体、一体何なんだろうねぇ。スゲー気になる(苦笑)。

 そんな訳で昨日の番組は予約抹消、今日のは予約録画継続となった。

 

 THEビッグオーの2ndシーズン第1話(通算第14話)“Roger the Wonderer”を観る。

 10分前まで放映の熱血電波倶楽部も録画していたので、テープ交換でかなり気を遣ったのだけど、いざ観ると何かスゲー事になってる(汗)。

 ロジャーはホームレスになるわ、劇中劇は出るわ、あの13話の凶悪なテンションの後にこんな迷宮構造の話を持ってくるとは全く想像が付かなかった(苦笑)。

 ・・・ビッグオーの続編を作れとオファーを出した(という話の)アメリカのカトゥーンネットワークだか何処だかのお偉いさんは、どんな顔をしてこれを観たんだろう?

 何かしらんが伏線らしき着ぐるみメガデウスの中身やら新キャラやらてんこ盛りで、今後の展開が読めそうで全然読めないし・・・(大汗)。

 取りあえず次週の“Negotiation with the Dead”を心待ちにするとしよう。

 

 ・・・そういえば問題の熱血電波倶楽部だが、キ印じじいの博士に孫娘というハナから終わった話(死)である“まおちゃん+戦う巫女さんs(ヲイ)の“朝霧の巫女”という、まるでカルピスの原液+ユンケルのカクテル一気飲みみたいな組み合わせなので、これはこれでオモロイかも知れない(核爆)。

 

西暦2003年1月12日 “誤りの訂正”

 本屋でSCSI関係の本を読んでいて、自分がターミネータについてとんでもない勘違いをしていた事に気付く(爆死)。

 ・・・やべぇ(大汗)。

 で、帰宅後大慌てで関係するページの記述の訂正/変更に着手。

 まぁ、間違えるのは致し方ないが、気付いて放置しておくというのは耐えられないので(苦笑)。

 

 ATの方にCD-R 3台を繋いでDisc Juggler 4を起動してみたら、こんな感じで興味深い表示がなされた。

 ・・・そうか、2台以上同じ型番・同じファームウェアのドライブが接続されていると“クラスタ”という概念で管理されるようになるのか。

 なかなかこういう接続をする機会は無いと思うので、記録の意味を込めて記しておく。

 なお、このエクスプローラ画面には何やら怪しげな表示があるが、気にしない様に(笑)。

 

西暦2003年1月15日 “カウンター”

 最近、カウンターの増加ペースが目に見えて上がっている。

 一体何があったのだろーか(汗)?

 

 ストラトス・フォーの第2話を見る。

 大型ミサイルを抱え、RATOを2基追設したTSR.2のカタパルトによる緊急発進シーン(考えたらこのクラスの大型ミサイルをぶら下げると滑走出来ないから、この発進方法以外採り様が無い)に思わず涙する。

 ・・・ええのう(涙)。

 私は元々Ho229とかXF-108とかこれとか、“未完の大器”なヒコーキには非常に弱いのだが、そういう意味ではこの作品は心の琴線直撃(爆)なので大変である(ヲ)。

 まぁ、最近某ゲームのお陰で俄ファン急増中(苦笑)のS-37とかは余り好きじゃなくて(スホーイはどっちかといえばSu-27Mの方が直球ストライクであった)、40〜60年代の山師めいた実験機(何かの間違いの様な二次大戦期ドイツ試作機群も当然大好きである)や一芸のみ(死)の高々度戦闘機群やオーバーM2級インターセプター、あるいは夜間戦闘機の類の方がエエ、という人間なので、当然資料代やら何やらがかなり嵩む(死)のだが、この辺の機体は何というか「とにかく今自分に出来る事はみんな盛り込んでみました」的な全力投球ぶり(方向性が間違っていて、いわゆる“駄っ作機”になってしまう事もままあった訳だけど)が清々しいのが大変によろしい(苦笑)。

 そんな、冷戦時代の悪夢というか設計者の妄想だだ漏れな試作機の一つであるTSR.2(実機は確か1機保存されていて現存する筈)がこんなにも活躍するアニメが作られるとは、良い時代になったというべきなのだろうか(苦笑)?

 ちなみにこのTSR.2、当然というかプラモデルは出ていなくて、先年某社からバキュームフォームのガレージキットで製品化されただけなのだけど、今回のTVアニメへの登場をきっかけにどこか(個人的にはハセガワ希望(笑))がプラモ化してくれないかなぁ、とか余計な事をつい考えてしまう。

 大戦期のドイツ試作機群はドイツレベルとかドラゴンが頑張ってキット化してくれているのだけど、冷戦期の英国機となると途端に少ない(ま、魅力的な機体が少ないのも事実だけど、量産機のキットさえ満足に出てないというのは如何なものだろう?)ので、何となくそんな事を妄想してみたりする今日この頃である(苦笑)。

 という訳で“ストラトス・フォー”は個人的に大プッシュである。放映されていて観る事の出来る地域の方は是非御覧頂きたい。

 ・・・まぁ、キャラで好き嫌いがかなり出そうな作品ではあるのだが・・・(苦笑)。

 

西暦2003年1月19日 “PC-98”

 どるこむの掲示板の投稿記事にあった方法でPC-9821RvII26のWindows 2000 ProfessionalにDirectX9をインストール。

 そもそも本体がDirectX9どころかDirectX8にさえ正式対応しない上に、DirectX5〜6世代のグラフィックカードを挿した様な状態では意味が無い気もするが、取りあえず縁起物という事で(苦笑)。

 ちなみにこんな感じ

 無論本当はCPUやグラフィックカードの換装をしたいが何しろ予算が無いので(以下略)。

 

 PC-98といえば最近PC-9821シリーズの原稿を黙々と書いている。

 果たしてこれがどの様な形で世に出る事になるのかは定かではないが、この作業に関連してPEGC(9821固有のグラフィックコントローラ)が実はパックドピクセル方式でVRAMを管理している(但し9821初代からPC-9821An/Ce2/Cs2の世代まではプレーン方式もサポートしていた)事や、Af/An/Bf/XnのチップセットがIntel 82427キャッシュコントローラ+NEC自社製CPU−ローカルバスブリッジコントローラ等による、Pentiumマシン用としては非常に特異な構成であった(ちなみに同じ系統のCPU搭載でもCfとXfは開発が遅れたお陰でIntelのPCIチップセットである430LX(PCIバスに関するバグフィックス版)を搭載している)事等、これまであやふやだった部分がかなりクリアになったのは収穫であった。

 只、問題なのはこの辺をきっちり説明するとかなり長く込み入った原稿になってしまう事で、その辺の塩梅と機種のグループ分けがネックになりそうだ。

 さてどうした物か・・・。

 

西暦2003年1月24日 “20世紀の残影”

 ハーバーサーカスの祖父地図で#9の名作、Imagine128 4MB VRAM 1280 PCIをゲット。

 以前薙澤君の依頼で買って彼に送ったのと同型だが、ドライバディスクや元箱などの付属品一切無しという何とも寂しい状態での購入と相成った。

 もっとも、そうは言っても95年に主としてWindows NTでの利用をメインターゲットにしたハイエンドグラフィックカードとしてデビューしたかなり大きなカードだけにその威圧感は充分で、基板裏面の莫大な数のチップコンデンサや抵抗、あるいは表面の非常に大きなImagine 128チップやTVP3025-175PCE(RAMDAC)を見ていると、このカードの製造にあたってかけられたコストの膨大さがひしひしと伝わってくる。

 今時こんな採算度外視のカードはOpenGLものでもなければまずお目にかかれない(そのOpenGLものでさえ、WildCatやTE5系といったトップクラスの製品でもなければ超弩級サイズの物は作り辛くなってきている)から、眺めているだけでも結構元が取れる気がする(笑)が、実はこのカード、3Dとか何とか無粋な事を言わなければ、事実上Windows 2000限定(Windows 2000のInBoxドライバとしてMS製ドライバが提供されている)だが今でもセカンダリグラフィックカードとしてそれなりに実用になる(まぁ、#9純正のHawkEyeでは可能だったガンマ調整は出来ないので不便は不便だが)。

 そんな訳で、これは良い買い物であった。

 ちなみに今後はS1668でPCIカードのBIOS書き換えを行う時のVGAカードとして使用(・・・て事はImagine 128内蔵のPCI to ISAブリッジにぶら下げられたGD5424しか使わないって事になるな(苦笑))の予定である。

 

 Imagine 128を買ってから店内をぶらぶらしていたら、CD-R/RWドライブのコーナーのPlextor製品が並んでいる棚に見慣れない緑色の箱があった。

 何かいな?と思って近付きかけたら先客が手にとってそのままレジへ(笑)。

 通り際に観察したらPX-W4012TS(内蔵型)であった。

 ちなみに値札には2万7千なんぼだかの数字が記してあったから、税込みだと大方3万の製品という事になる。

 一体何台入荷したのか知らないけど彼が立ち去った後の棚には何も商品が残っていなかったから、少なくともあのドライブの初回入荷分(TLA#0000だった)は、今時CD-R/RWしか焼けないSCSIドライブ、しかも昨今のCD-R/RWドライブの相場からすれば法外と言っても良い様なプライスタグが付いた製品であるにもかかわらず、まるでそうなる事が当然であるかの様に完売した事になる。

 ・・・恐るべし、Plextor(笑)。

 

 CD-Rと言えば、正月に全くの偶然からウン年ぶりに高校時代の友人でTDK(の磁気部門)に奉職している“実物大の地球儀(仮名)”君と電話で話す機会を得たのだけど、TDKから昨夏限定発売された例の復刻版CD-Rメディアの反響は大変なものだったらしい。

 まぁ、今時の粗悪ドライブでSD2.8が焼けただの何だの騒いでいるだけのCOPY厨房どもはどうか知らないが、少なくともオーディオという物に関心のある人間にとっては、昨今の台湾製を主体とするメディアははっきり言えば“無いよりはマシ”程度の代物で、下手をすると“焼いたらドライブが駄目になりかねない”(反射層金の古いメディアしか“知らない”1〜4倍速位までのドライブに例えば某台湾メーカーのフタロシアニンメディア(反射層銀)を入れて等倍で焼いたりしたら、反射層そのものを焼き切ってしまう(ストラテジ情報を持たない為に熱分解の反応速度がシアニンと同じと仮定して最大出力でレーザー発振して、そうなってしまう事がある。そうなると当然レーザーピックアップの寿命もかなり縮まる)という空恐ろしい結果が待ち受けている)ので、CD-Rの黎明期より存在していて、そういう古いドライブ(何しろ製造コストが違い、部品の精度や品質が段違いに良いのが大半なので、今時のドライブより高音質に焼けてしまう)で確実にサポートされている太陽誘電やTDKの反射層金のメディアというのは他の何物にも代え難い貴重品という事になるから、大反響も当然だと思う。

 正直、私だってあのメディアが1枚\300程度で安定供給される(やはりと言うか、そうして欲しいという熱い要望が多かったそうだ(笑))なら買うものなぁ・・・(溜息)。

 99年秋に初めて自前のCD-Rドライブを買った時、それなりに高価な部類に入った三井の国産フタロシアニンメディアの74分もの(8倍速対応)を岡山で買うと大体\258(税抜)前後だった(1999/10/25の交信記録を参照の事。ちなみに誘電のCDR-74TYとかだと確か\200前後で買えた)事や、今の誘電のCDR-74MY(Master)が1枚当たり\330〜\400程度で買える事を考えると、TDKの63/74分金メディアが昔と同程度のクオリティで\300〜\400程度で買えるのであれば文句は全く無い(断言)。

 実際、昔よりかなり品質の落ちた三井の国産金メディア(Professional。ちなみに現行の一般に入手可能な市販メディアとしては恐らく唯一の金メディア)でもその位してるしねぇ・・・(苦笑)。

 この辺りの事はこれまでも何度かここに書いてきた訳だけど、正直なところまさか21世紀に入ってこんな馬鹿な事に悩まねばならなくなろうとは、20世紀の終わりのあの時代には全く夢想だにしなかった事であった。

 総じてPCは軽薄短小へと向かう傾向があり、高コスト高品質というのは何時しか蹴散らされる様になるものなのだけど、まさか少なくとも半分はオーディオの領分である筈のCD-Rメディアがこんなに悲惨な事になろうとは思わなかった。

 バブル期に破格のオーバークオリティなカセットテープやDATを見て/使って育ち、未だ“技術というのはクオリティを向上させる方向に進化し続けるものだ”と心の何処かで信じて疑わない所のある私などには、“書ければ良い、でもってその時読めれば良い、記録されたデータがその後保つかどうかは知らないし関心もない”という無神経極まるモノ作りを続ける台湾のメディアメーカーの連中の思考回路は多分、永遠に理解できない事だろう。

 まぁ、向こうもして欲しいとは思わないだろうし、こっちもしたくなどないのだが(苦笑)。

 ・・・かくして悪貨は良貨を駆逐する(死)。

 

西暦2003年1月25日 “PC-98 or PC/AT”

 母親の諸作業の為にRvII26のセッティングを色々変更。

 流石にメインのATをいじるのはリスクが大きいので9821の方をいじったのだけど、いや、Windows 2000環境でPC-9801-116とWheel Mouse Optical USBを接続して使う様にすると、操作性がAT互換機とまるで区別が付かなくなるねぇ(笑)。

 まぁ、PC-9801-116は本来それが目的で設計された代物なのだけど、ここまでしっくりくるとは思わなかった(苦笑)。

 本当はUSB to PS/2コンバータを介して109キーボード(SMK-8851)を繋ぐのがベスト(PC-9801-116はタッチが悪過ぎ(泣))なんだけど、とりあえずはこんな所で。

 

 CD-Rメディアを買い出しに出かけて、お目当てのモノが買えずがっくりくる。

 最終的にはマジでCDR-74MYしか買えるメディアが残らないのではなかろーか(汗)。

 ・・・でもそうなると80分ものが困るなぁ(溜息)。

 

西暦2003年1月26日 “古書市”

 たまたま開催されていた古書市に遭遇。

 で、その昔今は無き国有鉄道鷹取工場が編纂した“機関車義経号”なる国鉄7100形(この機関車は国有化まで色々形式/番号が変化しており、面倒なのでここでは国有化後の形式であるこれで通す事とする)の復元工事の記録誌があったので、手にとって目を通してみる。

 実はこの本、高校時代に母校の図書館で発見して貪る様に読んだ1冊なので、非常に懐かしい気がして手に取ったのだが、流石にと言うべきかあの頃と今とでは全然読み方が違って、非常に新鮮に読めた(苦笑)。

 ちなみにこの本、内容はと言えば復元工事に至る経緯(鉄道80周年記念事業であった)と工事全般の記録、それから“義経号”についての解説がメインで、今見ると懐かしい、当時の錚々たる面々が記事を書いておられ、資料的価値もかなり高い。

 で、当時この本が面白く読めた最大の要因であった「どれが本当の義経号か?」論争がやっぱり面白かったのだけど、ここで一つ大学時代の事を思い出した。

 現在義経号として復元・保存されているのは、国有化後の番号で言えば7105で、これは国鉄で廃車後堺の梅鉢鉄工場(後の帝国車輌→東急車輌)に僚機である7104(後に高知鉄道(土佐交通→土佐電鉄安芸線(廃止))へ譲渡)と共に払い下げられた後、戦時中に入れ替え作業で不便という事で炭水車を外してタンク機関車に大改造されていたものだ。

 で、これが“義経”である事が確定するまでには随分色々な論争があって、最初国鉄自身は馬鹿正直にトップナンバーの7101を幌内鉄道の1号機であり、同鉄道開業時にお召し列車を牽引した義経だと信じて関東大震災前に交通博物館に保存しようと大宮まで運んでいたのだけど、ここでこの7101の銘板(製番369)についての当時の趣味人達の調査(製造元のHK.PORTER社からの送り状が発見された)で義経=製番368・弁慶=製番369であった事が判明したため、結局弁慶として保存した(これ自体は「弁慶が義経の身代わりになった」という愉快な挿話になったのだが、実は交通博物館は1号機やらお召し列車牽引機という選定基準を振りかざす割に失敗が多く、いわゆる1号機関車を島原鉄道から手に入れる際にも、新橋−横濱間開業時のお召し列車牽引機である後の160形が同鉄道で稼働中であったにもかかわらず、無視してしまった(そして同機は戦後島原でスクラップになった)という失敗談(まぁ、これも昭和50年代に入って漸く判明した事実なのだが・・・)がある)という所から始まって、「では義経は何処に?」となって当時まだ全車(7100〜7107の8輌。ちなみに幌内鉄道では3〜6号機については比羅夫、光圀、信広、靜と命名)が現存していた事から関係者が各方面に問い合わせ/調査を行い、製番368の銘板だけが行方不明で、しかも7105だけがボイラに銘板を持たなかった為に7105=義経という事になったのである。

 もっとも、これについては別の意見があって、「7105は幌内鉄道5=信広であったのではないか?」とする説が有力な対抗説として存在したのだけど、いざ実機をバラしてみたら「義経と信広の製番刻印が各部品にごちゃごちゃになっていた」という最悪のパターンであった事が発覚してしまい、止む無く「どうやら幌内鉄道では同型8輛でボイラとかを平気で入れ替えていた(爆)ようでどれが義経かは厳密には断定できない。従って銘板が付いていたボイラを主体と見なして当初の推定通り7105=義経に決定」としたそうだ。

 かなり長くなってしまったのだが、この話から岡山大学鉄道研究会の年末の恒例行事である「コッペル磨き」(笠岡の井笠鉄道記念館の保存車の清掃をボランティアで行う)に出かけた際、同地に保存されている1号機関車(オーレンシュタイン・ウント・コッペル製。製番6533)のバルブギア回りを掃除していて、この車の各部品の製番刻印がてんでバラバラであったのを発見して驚いた、という昔話を思い出した事であった。

 具体的には、右側のメイン(コネクティング)ロッドとサイド(カップリング)ロッドは6534、それからラディアスロッドは6535、左側メイン(コネクティング)ロッドは6535、サイド(カップリング)ロッドは6534、ラディアスロッドは6535、と弁装置の重要部品は殆ど2・3号機(岡山の池田動物園と福山の某ゴルフ場に保存)の部品が付けられており、6533の刻印は左右のエキセントリックロッド位にしか見当たらなかったのである。

 まぁ、井笠の場合、1〜3号機には昭和30年代初頭の廃車以降井笠鉄道線全線廃止前後まで約15年程に渡る籤場(くじば)車庫での保管期間があってその間にロッド類を外した写真が撮影されているから、恐らくこの時期に入れ替わったものと思うけど、それにしても大らかというか何というか、随分合理的な部品管理をしていたのだなと思う。

 無論、これは部品が共通の同型車がある程度揃っていないと出来ない芸当で、同時に数を揃える事の最大のメリットである訳なのだけど、それ故数のまとまったグループを抱える会社では少数派の扱いが自然と悪くなる、というのが通例で、井笠でも1形式1輛で部品の互換性の無いポーターや雨宮は割と早い時期に売却して再度コッペル製を買い求めているから、こういう部品の融通はやはり現役時代からやっていたのでは無かろうか?

 

 何やら取り留めのない思い出話に終始してしまったが、この辺の事情は多分世間的には余り知られていない(というかそれこそ「コッペル磨き」にでも参加しない限りは気付く筈のない)事だと思うので、取りあえずここに記しておこう。

 それからもう1つ。

 「コッペル磨き=田中館長にカレーをごちそうになる」の等式しか思い浮かばない岡山大学鉄道研究会の諸君には、あそこには鉄道研究の最高の素材の一つが眠っている事を是非認識して貰いたいと思う。

 そもそも、コッペル製の軽便機関車や木造軽便客貨車の本物を気軽に触れる場所なんて、日本広しと言えどもそうないのだから・・・。

 

西暦2003年1月31日 “CZ-6MO1”

 某中古屋のジャンクコーナーで大量に並んでいたCZ-6MO1が安くなっていたので4台購入。

 数日前に見た時は\980(税抜)だったので1台しか買えなかったのだが、\300に値下げされたとあっては躊躇する理由は何処にもない(笑)。

 ちなみにこれ、判る方にはすぐ判ると思うがX680x0純正の5.25インチMOドライブ(両面アンフォーマット時容量594MB。フォーマット時の片面の容量は約270MB)で、当時の定価\450,000(!!)というかつての超高級品である。

 最初はジャンク扱いが忍びなかったのと話の種のつもりで買ったのだが、実はこのドライブ、贅を凝らした5.25インチMOドライブだけに筐体や電源の造り込みが尋常ではなく、CD-Rドライブの内蔵には非常に好適である事が判明した。

 つまり、筐体+電源だけでも充分以上元が取れる(というか今時こんなに良い電源を積んだSCSIケースなどそうそう無い)という事で、そう考えれば法外に重くとも4台まとめ買いするのが正解であろう(笑)。

 まぁ、SCSIコネクタが50ピンフルピッチアンフェノールの古いタイプなので色々手を入れる必要があるが、それでもこの程度の出費でCD-Rドライブの音質が良くなるなら手をかける価値があるというものだ。

 全く良い買い物であった。

 

 ちなみに、筐体から追い出された中身の行方だが、1台はいろいろあってあの“SUSEI.X”のGORRY氏の所へお嫁入りが決定した。

 “SUSEI.X”には本当にお世話になったので、氏にこういう形でお返しできるのは何とも嬉しい事である。

 

西暦2003年2月5日 “アクセス解析”

 思う所あってアクセス解析タグをトップページに設置。

 正直言うと、果たしてどの位役に立つものかは定かではないのであるが・・・(苦笑)。

 

 そういえば、GORRY氏に贈呈したMOドライブは無事動作した(祝)様で、何よりである。

 同じモノが手元に後4台あるのだけど、1台か2台は残すとしても、残り2台はどうしようかなぁ・・・。

 

 PM-750Cが実は温度に非常に敏感である事に気付き、愕然とする。

 印刷時にトラブルが頻発すると思ったら、何の事は無い、気温の低下が原因であった(爆)。

 どうやら室温が10℃を切ると、ヘッドの制御やインクの詰まりやらのトラブルが発生し易くなる様だ。

 で、対策としてプリンタ本体を石油ストーブの近くに置いて連続的に印刷してみたら、全くのノントラブルで最後まで行った(喜)。

 これまでにも幾度か似た様な状況になって悩んだ事があったのだが、恐らくその大半は今回と同じ理由によるものだったのではないかと思われる。

 そんな訳で、今回の私と同様に寒い部屋でインクジェットプリンタが異常動作してお悩みの諸氏には、「部屋の温度を上げる」という最も単純な対策を講じてみられる事をお勧めしておこう。

 

西暦2003年2月8日 “PC-9821Xe10/4-Z”

 中古でPC-9821Xe10/4-Zを購入。

 今更何で? とか言われそうだが、

  1:値段が法外に安かった

  2:拡張ボードや搭載CPUが欲しいものだった

  3:Xe10をバラしてみたかった

 の3つの理由から購入と相成った。

 ちなみにお値段は、どう考えてみても挿してあったLANボード(LGY-98J-T / MELCO)やSCSIボード(IFC-NN / MELCO)、CPU(Pentium ODP 83MHz)、それに32MBのSIMMの中古価格の合計より安い(爆)という、誠にもって不可解な金額であった。

 ・・・あの店どんな計算して値段付けているのだろう(汗)?

 また、CPUのPentium ODP 83MHzだが、今見ると非常に遅い。

 と言うか、手持ち予備のAMD 5x86-P75に交換して起動してみたら格段にキレが良くなったので、やはりアレは駄目って事で(苦笑)。

 正直なところ、Pentiumアーキテクチャのメリットを生かそうと思ったら83MHzじゃ不十分で、出来れば倍の166MHz、最低でも100MHzにはなっていなければならなかったのではなかろうか、と今にして思う。

 無論、正規のPentium(P54C)でさえ100MHzが精一杯、という3.06GHzがどうのと言っている現状からは想像も付かない様な当時のIntelの製造プロセス事情(8〜9年前の話だ)を考えたらそれも致し方なかったのかも知れないけど、それにしてもこれはひどい。

 そういえばその昔、X68030を買う前にPC/AT互換機事情をつぶさに調べた頃、当時の486対応マザーボードはほぼ例外なく「P24T(Pentium ODPの開発コード)対応!」という事を謳い文句にしていて、それを搭載すれば正規のPentiumマシンに匹敵する性能が得られる様な事を喧伝していた。

 冷静に考えると486系マザボ+Pentium ODPで正規のPentium対応マザボ+Pentiumに匹敵する性能が得られるならば、後者にその技術を応用すればよりいっそうの高速化が実現するのは自明の事(自慢じゃないが当時の私はそう判断して手を出さなかった)である。

 で、当時は何故かIntelが作曲し、マザボメーカー各社が演奏する“P24T讃歌”に合わせて皆が踊り狂っていた(ま、踊り狂っているのは今も同じか・・・(苦笑))訳だが、再三の延期の末にじれた皆が正規のPentiumマシンに乗り換えていい加減忘れかけた頃に出たPentium ODPは、そのご大層な名称とは裏腹に486DX4と似たり寄ったりの性能しか出ない駄目CPU(メリットはPentiumコア故に高速なFPUだけだろう)で、結局486系CPUのアップグレードパスとしてはCyrixのCx5x86(M1sc)やAMDのAm5x86-P75(X5)といった互換CPUが正解、という事になってしまった。

 今回実際に試してみて、それが正しかった事を改めて確認したのだけど、それにしてもAm486DX4 100MHz搭載だったXe10をPentium ODP 83MHz搭載に換えた(それならXe10じゃなくてXe8じゃんかよ、という突っ込みもあった(笑))当時のNECの真意は一体何処にあったのであろうか?

 PenODPを積む位ならば今回私がやった様にAm5x86-P75を積んでおいた方が遙かに実用的且つ廉価に出来たのではなかろうか。

 

 ・・・さて、このマシンどうしようかねぇ?

 一通りバラして調べたし、必要なパーツも抜いた(SCSIとPenODPを外してAm5x86-P75を搭載し、メモリを40MBにした)から、部屋に置いておいても邪魔なだけなんだけどねぇ・・・(溜息)。

 ・・・誰か後輩で欲しがる様な人間いないかなぁ?

 

西暦2003年2月13日 “Pentium II 300MHz(2.8V版)”

 Pentium II 300MHzを2つ購入。

 当然、PC-9821RvII26用であるからSL28RとSL2HAという2.8V版、つまり所謂Klamathコア搭載品である事を確認してからレジに向かったのは言うまでもない。

 正直言って、Pentium 4が3.06GHzとか言っているこのご時世に300MHzのPentium IIを買うのはかなり無惨な気がするのだが、RvII26についてはITF-ROMを書き換えない限りこれ以上の速度の石が積めないのでは致し方ない(溜息)。

 だが、それでもこれだけ低速域(苦笑)の話であれば僅か+33MHzでもかなり効くので、積む事そのものには意味がある訳だ。

 実際、積んでからチェックに起動してみると、結構挙動のキレに差が生じており、今回の換装には意味があった事が確認できた。

 +33MHzでこれなのだから、400MHzオーバーの石ならどれ程の効果が得られる事であろうか。

 全くもってNECの仕込んだCPUチェッカルーチンが恨めしい限りである。

 

西暦2003年2月14日 “高発熱”

 RvII26の動作試験をしていて、少し火傷をする。

 ・・・2.8V版Pentium II 300MHzってこんなに無闇やたらと熱くなるのか(驚)。

 

 で、慌て気味に冷却対策を講じる事にする。

 幸いと言うかそれともNECも先刻ご承知だったのか(苦笑)、RvII26の筐体前面にはCPUボードの部分に空冷ファンを追加する為のスペースが最初から用意されており、ご丁寧にもネジ穴まで開口してあったので、これを有り難く利用させて貰って小型ファンをそこに取り付け。

 これで動作中の温度がかなり下がった。

 実は以前とある方からRvII26の標準搭載VRMが300MHz動作を続けると半年程で燃えてしまう(汗)、という事を聴いていたのだけど、成る程ヒートシンクが火傷する程高発熱する=大電力を消費するプロセッサの横で充分な冷却策を講じないのであれば、燃える事もあろうというものだ。

 ちなみに問題のVRMも前面にファンを追加すれば片方は直接冷やされる(もう一方はCPUクーラーの冷却風を直接受ける位置関係にある)ので、ので、多分件のトラブル発生可能性は低下するのではないかと思う(そう思いたい)。

 

 CPUさえ換えられたら本当に速攻でCoppermineコアかTualatinコアのPentium III/III-Sに換えるところなのだが・・・(溜息)。

 

西暦2003年2月15日 “Giga Bitの威力”

 薙澤君から譲り受けたNETGEARのGA302TなるGigabit EthernetアダプタをRvII26に搭載。

 これでAT新1号機とRvII26の間はクロス接続による1000BASE-T LANが成立した。

 流石にと言うか、ファイル転送等の反応速度が段違いに速い。

 成る程、これならSAN(Storage Area Network)なる発想が出て来るのも無理はないなぁ・・・(感嘆)。

 

 PC-9821Xe10/4-Zを付属品一式と共にHAN-LAY先輩に進呈。

 Windowsマシンとしては最早論外の部類だが、DOSゲーマシンとしてならアレでも実用になるものと思う。

 

西暦2003年2月16日 “Hyper 98”

 昨日薙澤君に貰ったPC-H98 model U105-300を分解してみる。

 ・・・何というマシンだ、これは(感嘆)。

 ルーフカバーを外す所まではこれ迄にも何度か見ていたのだが、メイン基板を暴露する所まで分解するのは今回が初めてで、部品を一つ外す度に愕然とする羽目に陥った。

 このmodel U105-300はPC-H98シリーズの最上位且つ最後の機種で、PC-9801RAに始まるPC-9800シリーズ全盛期のデザインコンセプトに基づく機種群の掉尾を飾る大作(ちなみに発売時の定価は118万円也)なのだが、流石にバブル期の最末期に企画されただけあって各部の使用部品や加工方法、それに設計に関するコストのかけ方が半端ではなく、これまで見た事も無い様な部品や基板が満載であった(爆)。

 つーか、ルーフカバーだけじゃなくファイルスロット部のフレーム撤去して初めて抜き取りが可能になる(筐体右側面から抜き取り出来る)専用SCSIインターフェイスボードって何考えてんの(汗)?

 普通、メイン基板に直接オンボード搭載すると思うぞ、こういうのは(苦笑)。

 ま、一事が万事この調子で、バブル期のNECが金に飽かしてどの位狂ったマシンを作っていたかが良く判ったのだけど、このマシン、以前高校時代の友人であるCh君に貰ったFC-9801F-HD2をファイルスロットに挿して、キーボードをPC-9801-114 PC-PTOSキーボードにすると無闇やたらと格好良い。

 ・・・これでサウンドボードを純正指定のPC-9801-73(思えばこれもバブリーな設計のボードだね)にすれば完璧、って感じなんだが幾ら何でも73は出てこねぇよなぁ・・・(苦笑)。

 

西暦2003年2月17日 “HiNote Ultra CS450”

 殆ど発作的に往年のDECの名作、HiNote Ultra CS450を外付けFDD+ACアダプタとのセットでゲット。

 デザインがイカしていて、お値段もイカしていたのであっては致し方ない(苦笑)。

 取りあえず、DOSでも良いから日本語の文章入力の出来るポータブル機が欲しかったので、これで良し。

 486DX2 50MHzという最早終わってしまった、いや、跡形も無くなってしまった様な非力なCPU搭載で、おまけにメモリ12MB+HDD 340MBとあっては幾ら何でもWindowsを入れるのは躊躇われるが、JEDを入れて文章入力するだけならこれでも充分だろう。

 ま、お値段\2980(税抜)とあっては文句を言ったら罰が当たろうというものである(苦笑)。

 ・・・ああでも、PCMCIAのSCSIカードだけは調達せにゃならんなぁ。

 

西暦2003年2月19日 “風邪”

 どうも風邪を引いたらしく、体調が絶不調になる。

 

西暦2003年2月23日 “Windows NT Workstation 3.51 on PC-H98 model U105-300”

 風邪はやっと症状が軽くなり始めた。だが、ここ4日程は本当に地獄であった。

 

 そういや韓国の地下鉄火災は結局人災の線で落ち着く様だ。

 最初にニュースを聞いた時に両親と、

  Dコックはないのか?

  日本の地下鉄でいう運輸省A-A基準とか普通鉄道構造規則みたいな不燃化規定はないのか?

  防護無線はないのか?

  乗務員や運行司令は何をしていたのか?

 てな事を話していたのだが、不幸にもこの辺が全部悪い方に重なって出て、被害が拡大したらしい(合掌)。

 で、一番驚いたのは乗務員が乗客の避難誘導もせずに自分だけ列車のマスターキーを抜いて逃げた、という下りで、制御系のキーを抜いたらドアが全く開かなくなるSiemensのシステム(Siemensの制御器自体はベクトル制御が優秀で、JR東日本や京浜急行も採用しているのだったよな、そういや)も論外(誰がそんなシステム組んだ?)だが、乗務員の無責任ぶりにはもっと驚いた。

 ま、韓国に行く事はまず無いと思うが、あの国の鉄道はちょっと乗りたくないなと思った事であった。

 今から10年前にRetroPC.Netのmolice君と組んでやっていた某ネットゲームの為の原稿(いわゆる高架線計画(苦笑))で地下鉄の問題点として書いていた事がかなりの確度で起きるってのは幾ら何でもねぇ・・・(溜息)。

 一事が万事と決めつけたくはないが、最新の技術を投じて建設されたと称する地下鉄でここまでフェイルセーフが全くなっていないという事は、TGVの車輛とポイントを持ってきただけのあの国の新幹線がどんな代物かが知れようというものである。

 ジャーナルの某連載見てると、フランスのTGVの売り込みってスゲー無責任みたいだし・・・。

 取りあえず被害者の方々の冥福と、韓国の新幹線の無事故運行を切に祈る次第である。

 

 漸くH98のHDD(薙澤君に貰ったDORS-32160)をNTFSでフォーマットし直してWindows NT Workstation 3.51をインストール。

 別にNT3.1(NECのFD版で、昔S-FanのI先輩から戴いた(新古品がワゴンセールで売られていたのを買われたらしい)ものだ)を入れても良かったのだが、NT3.1は要メモリ32MBだったのを思い出して慌てて3.51を引っ張り出してきた(苦笑)。

 取りあえず拡張カードは皆抜いてPC-H98-B14を1枚挿しただけの状態にして、PX-R820TをCD-ROMドライブとして内蔵SCSIインターフェイスに繋いでインストールしてみたのだが、流石にほぼノーマルだけあって、妙に引っかかる事も無くあっという間にインストール完了となった。

 で、起動して気付いたのだが、NT3.51は95と同様H98のE^2GCによる256色ハイレゾモードをサポートしておらず、PC-H98-B12系のバスマスタSCSIインターフェイスも“PC-9801-92およびPC-9801-92互換”という扱いになってしまう(涙)。

 まぁ、後者は結構さくさく動いているのできちんとバスマスタ転送している様なのだが、前者はかなり痛い。

 256色出るならPower Window 968抜いても良いかなぁ、とか考えていたのだけどねぇ・・・(溜息)。

 

西暦2003年2月25日 “256MB”

 中古で32MBのFPM-DRAMパリティ付き72ピンSIMMを2枚購入。

 で、As2に入れてあったI-Oの32MB SIMM2枚と合わせてRvII26の16MB ECC-EDO DRAM SIMM 4枚と入れ替え。

 As2のメモリ容量がかなり悲惨な事になるがこれでRvII26は取りあえずメモリ254.6MB(1MBは15-16MBのI-O空間の関係で、0.4MBはBIOSのシャドウROM化やPEGCのI-O空間の領域の関係で差し引かれる)となった。

 流石に、というかCPUをPentium II 300MHz*2にしてメモリをこれだけ積むと、Windows 2000の挙動が目に見えて軽くなった(笑)。

 ・・・という事はCPUさえ順当に強化出来ればかなり快適になる訳で、いよいよROMライタが欲しい今日この頃である(爆)。

 

西暦2003年2月26日 “2型39号”

 2型39号、一応竣工。

 X680x0の記憶の注釈を色々いじった他、井原鉄道など各ページの細々した修正などを実施。

 大した量じゃないが、「今はこれが精一杯」という事で。

 

西暦2003年2月27日 “2型39号追加”

 昨日の更新で間に合わなかったGA-SV432/PCIを追加。

 多少不満があるが、取りあえずアップしておく。

 

西暦2003年2月28日 “ゲーム”

 マブラヴを購入。

 が、果たしてちゃんとプレイ出来るか否かは定かではない(死)。

 

 そういえば祖父地図店頭で雪風のOVA第2巻を流していたけど、FFR-41の空戦シーンを観て絶句した事であった。

 以前にも書いたが、FFR-31のデザインを見た段階じゃ山下いくと起用の真意が見えなかったのだけど、こうして“有りうべからざる航空機”としてのFFR-41の凄まじいデザインを見せられると、彼を起用した理由が良く判る(もっとも、それでもあのFAND IIだけはどうかと思うが)。

 少なくとも今のアニメ業界で、ここまで“突き抜けた”ヒコーキを描けるデザイナーは他にいないのでは無かろうか?

 まだしも常識の範疇に入る(いや、冷静に考えるとこれの段階で充分踏み外しちゃいるのだが・・・)FFR-31と並べてきちんと存在感を主張でき、しかも充分に“新しく見える”デザインとしてFFR-41が成立するというのがどれ程凄い事かは言うまでもないだろう。

 ま、平面形状だけ眺めたらベルクートっぽいのだけど、出自が無人機である事を無言の内に示すあの複雑怪奇な機首部の造形(着陸シーンは衝撃的だった)や、空戦機動時に殆ど主翼を畳んでしまえる(=主翼全体が操縦翼面として機能する)構造とか見ていると、何というか“飛行機のカタチをした別物”という、原作小説のFFR-41が登場するシーンで感じた異物感をものの見事に再現していて、凄くイイ(笑)。

 本当はDVD、欲しいけど予算がねぇ・・・(溜息)。

 

西暦2003年3月1日 “インストール”

 マブラヴをメインマシンのWindows 2000 Professionalにインストールしてみる。

 ・・・何だよ、この標準インストールで必要HDD容量2.2GBってのは(汗)。

 まぁ、CD-ROM5枚組(内1枚はBGMのCD-DA用)という枚数を考えたらそんなものかとも思うが、実際にフルインストールしてチェックしてみたらサイズが2.24 GB (2,410,825,195 バイト)となったので嘘ではないらしい(笑)。

 しかもNTFSの圧縮機能を有効にしてあるドライブなのでそれなりに圧縮される筈なのだが、フォルダのプロパティを見るとディスク上のサイズは2.24 GB (2,406,753,128 バイト)となっていて、ハナから圧縮状態のデータが大半を占めた状態で2.2GB喰っている事が判る(死)。

 ・・・成る程、これだけデータ作っていたら遅れまくるわなぁ(苦笑)。

 ファイルサイズの相応に小さかった体験版でさえクリアにかなり時間がかかった事を思うと、先はかなり長そうである。

 

西暦2003年3月3日 “MEGA CD”

 ふと思い立ってメガCD版のSILPHEED(GAME ARTS)とNIGHT STRIKER(TAITO)をプレイしてみる。

 この画面を拝むのは一体何年ぶりか、という様な状況(考えたら10年近く見ていない)だったのだが、ポリゴンで描かれる事を正しく理解してデザインされた、あの米村孝一郎の手になるSA-77“SILPHEED”(そういえば、シルフィードと聞いてFFR-31を思い出すかSA-77を思い出すかでその人の嗜好が判る、って話が昔あった(苦笑))の勇壮な出撃シーンを、それこそ胸躍らせて見入ってしまった事であった。

 ・・・ええのう(感嘆)。

 ナイトストライカーの方は、あの有名なモザイク(笑)ぶりに苦笑したのだけど、それでも10年以上昔、確か大阪か京都のゲーセンで垣間見たアーケード版(確かシリアル番号が3桁しかないという超レアもの)を彷彿とさせる動きには只只涙するほか無かった。

 PS版とSS版が別の意味で涙する他無い出来(合掌)であった事を思うと、いよいよ悲しくなってくるのだが、×箱でもPS2でも、いやWin版でもエエから「ちゃんとした」これの移植は望めないものかと真剣に思う。

 これは、PS版やSS版の出来で語られるにはあまりに惜しいゲームだ。

 

西暦2003年3月4日 “覚え書き”

 作業進捗状況:

  Mate A:85%・98MULTi:30%・Mate B:95%・Mate X:60%・CanBe:25%・ValueStar:0%・Mate R:90%・PC-98:15%・PC-H98:98%・PC-9801:10%

 入力状況:

  プレーンテキスト換算76KB完了。

 連絡状況:

  Molice君からの返信は未だ無い(死)。

 約束から随分時間が経過したが、一体どうなったのやら。

 ま、彼の約束がこちらの期待する時間内にマトモに履行された試しは93年からこちら、皆目と言って良い程無い(MOドライブを貸した時も最終的に問題が決着するまで確か2年位かかった)し、そもそも彼は自分の用事の時だけ連絡を寄越す男なので既に諦めムードなのだが、それでも彼のサイトの更新状況や健康状態の記述を見ると流石に少し不安になる。

 本当に、一体どうしたのだろうか?

 

西暦2003年3月5日 “地獄巡り”

 本日は後輩M君の買い物に付き合って地獄巡り。

 私の収穫はDVD-303S(U-SCSI DVD-ROM 6x CD-ROM 32x RPC-1)とLVDの68ピンSCSIケーブル(アクティブターミネータ及びDC-390U2B付き(笑))、それにAthlon XP 2400+(2.0GHz)であった。

 ちなみにM君は弟に頼まれてマシンを組む由で、17万程度の予算でSuper MicroのGbE内蔵E7205板とPentium 4 2.4BGHz、256MB PC2100 DIMM*2、オウルテックのアルミ箱、玄人志向扱いのRADEON 9500PRO 128MB、Barracuda 7200.7の80GB、MintonのSP410D、それからナナオの16型液晶モニタを購入していた(他に私同様DVD-303Sを中古で購入)。

 この程度の予算でもかなり結構なマシンが組める(まあ、流用部品も色々有るようだが)のだ、とちょっと愕然とした事であった。

 

西暦2003年3月7日 “ドライバ”

 買ってきたAthlon XP 2400+をAT新1号機に取り付けてベンチマークを取ってみたところ、思う様な値が出ず、悩む。

 で、色々調べる内に、グラフィックカードドライバのSMARTGART設定のAGP速度の設定が“オフ”で変更できない事に気付く。

 どうやらドライバインストールに何らかの手違いがあったらしい(汗)。

 そこでATiのwebサイトで最新版のCATALYST03.1(7.83-030120a1-007447C-ATI)を落としてインストールしてから再起動。

 これでAGPが正常に認識されるようになり、ベンチ結果もほぼ期待通りとなったのだが、ここでボトルネックが一つ判明した。

 要するに、RADEON 8500は今や遅いカードなのだ、という事である(死)。

 まぁ、デビューから1年以上も経てばそんなものかとも思うが(苦笑)。

 

西暦2003年3月8日 “絶望的断絶〜リアルな現実・本気の現実〜”

 あまりにも返事が無いのに業を煮やして、職場のアドレスにまで脅迫紛いの期限付き警告を付したメールを送っていた、音信不通の森瀬君から漸く返事が届く。

 それによれば、どうやら彼は体調不良でメールの返信も満足に出来ない状況にあるらしい。

 で、それはそれとして肝心の彼が昨年末に上梓した本への執筆協力に関して彼が約束していた報酬の件について(野暮だと思ったので伏せていたが、実はそういう話だったのだ。ちなみに当初の彼の約束では12月頭にも分配がある予定であった)の釈明だが、呆れ果てた事には「他の本(後から出版された某MSX本)の執筆協力者への謝礼・報酬を先に支払ってしまったので今はオケラである。従って当分は払えない」との由であった。

 ・・・そうかそうか、ある程度予想も覚悟もしていたが、そういう返事を寄越すのか、この男は(溜息)。

 何やら体を壊してバイトが出来なかったのがオケラの一因だ、などと言い訳にもならない様な事をまるで他人事の様に書き連ねていたが、こういう金の絡む約束の履行は(特別に期限が切られていない限りは)金額の大小に関わらずFIFO(先入先出)が原則だろうに・・・。

 それとも彼は、地方在住で顔を合わせる事も無い私が相手で、それも金額が小額ならばナンボでも後回しにして構わない、と軽く考えてでもいたのだろうか?

 だとすればそれは非常に悲しい事である。

 無論、それは既にこちらとしてもある程度折り込み済み(当時未だ高価だったMOドライブを彼に貸した時の苦い経験による。これも非常に悲しい事だ)ではあったが、それでもこうして当人の返事として明示されると、やはり辛いものがある。

 しかも、文面をいかに精査しようとも、そこには遅延に対する謝罪の意志はまるで存在しなかった。

 まるで、状況が悪いのだ、俺は悪くないのだ、と言わんばかりに。

 これもまた、本当に辛く悲しい事である。

 思えば、これまで私は彼を待たせぬ様最善の努力を尽くしてきた(力及ばぬ場合はその事が判った時点でその旨を遅滞なく伝えてきた)が、彼はそれが何であれ、私を待たせる事を当然と考えている節があった。

 あるいはその辺の認識の落差/断絶こそが原因なのだろうか?

 考える程に理不尽な思いの募る一件である。

 

 ・・・もっとも、そんな事を思いつつ今精魂込めてやっている作業というのは、今年に入って彼から持ち掛けられた某原稿だったりする(死)。

 このあたり、私に学習機能が無いという事なのかなぁ・・・(溜息)。

 ま、次の裏切りを許すつもりは毛頭ないが(謎笑)。

 

西暦2003年3月9日 “Thoroughbred”

 CPU換装後初めてTyan System Monitor(TYANが自社製マザボ用に配布しているシステムモニタツール)で稼働中のAthlon XP 2400+の温度を計ってみる。

 ・・・33℃?

 もう一度計ってみる。

 ・・・35℃。

 念のため、もう一度計ってみる。

 ・・・35℃。

 どうやら、本当に人肌程度の温度域で動作しているらしい。

 AthlonはMPを筆頭とするParominoコアになってサーマルセンサーをコアに内蔵して過熱による破壊を防ぐ機能が追加されたので、この温度はほぼ正確なものと考えられるのだが、確か同じ製造プロセスの筈のPalominoコア搭載のMP1900+じゃどんなに頑張っても45℃を切った事が無かったのが、幾ら寒い季節とはいえ同条件で35℃以下に、つまり10℃も低下するという事はこのThoroughbredコア(B0コア)というのは実は物凄く優秀な石なんじゃないだろうか?

 何しろ、動作クロックはこちらの方が400MHz(実クロック)も高いのだから・・・。

 私が一旦Dual化したマシンをシングルに戻した最大の理由は、予算の問題(苦笑)もさることながら、夏場はMP1900+双発では冷却が追いつかないと悟った(恐らく、それでもCPU自体は動作はするだろうが、周囲のケミコン等の劣化を考えると高温維持は到底容認出来なかった)為であった。

 だが、今のXP2400+を見ていると、例えMP2600+双発でも夏場にミドルタワーに突っ込んで問題なく動かせるのでは無かろうか?という気がしてくる。

 ま、現状じゃそれは無理なのだけど(笑)。

 ちなみに、ケースファンを止めてみたら流石に熱が籠もって、37℃まで温度が上昇した(その後ファンを動かしたら32℃まで下がった)が、それでもPalominoコアの平温(笑)よりずっと低い(苦笑)。

 あるいは、この石の1700+動作とかなら熱さえきちんと管理できるならばファンレス動作も可能なのではないだろうか?

 

西暦2003年3月12日 “Slot 1の罠”

 港湾曲馬団(笑)の祖父地図で「電源は入るがCPUファンが動かず画面が出ない」という触れ込みでジャンク扱い(ちなみにメモリは32MB*2増設で95.6MB)のPC-9821Ra300/M40をピンと来るモノがあったので購入。

 電源が入らないなら終わっているのだが、電源が入るのにCPUファンが回らない、というのはSlot 1マシンに良くあるトラブルで、要するに“Slot 1の単純な接触不良”ではないか?と疑った訳である。

 購入後帰宅し早速動作チェック。

 ・・・確かに言い分通り電源は入るがCPUは動かない。

 で、中を開けてCPU回りを観察。

 なるほど、これならSlot 1の接触不良を疑う訳はないか、という位にはCeleron 300AMHzはきっちりと固定されていた(笑)。

 どの位きっちりしているかと言うと、Slot 1から取り外し出来ない程である(死)。

 だが、逆にこういう状態の場合ほどカードエッジの接点が酸化しやすいので、少し傾けてみたりしてから電源を入れてみる。

 ・・・・・・暫く間を置いてから、何事も無かったかの様にピポッというあの聞き慣れた起動音がして、メモリカウント画面が表示された(笑)。

 よっしゃ、おっけ〜。

 かくして、通常のRa300の中古販売価格からは程遠い物凄いお値段で購入したこのマシンは、無事動作が確認された(喜)。

 そんな訳でこの先こっちの方がCPU換装も楽だという事で、RvII26から部品を一式引き剥がしてこちらを98のメインで使う事にした(何時の間にかPL-iP3/T Rev.2も確保してあったりする(笑))。

 が、ここで一つ問題があったのを思い出した。

 メモリ、128MBしか積めねーじゃん(死)。

 そうなのだ、このマシンはSIMMソケット4本仕様なので1枚当たり64MBか128MBのパリティ付きFPM-DRAM SIMMかECC-EDO DRAM SIMMを挿してやらない限り、メモリ実装上限は32MB*4による127.6MB(実際は15-16MB空間が切られるので126.6MB)という事になってしまうのだ(窮)。

 でも、64MBとか128MBのSIMMって、スゲー高いのだよなぁ(溜息)。

 メモリ増設のやり易いRvII26はCPU強化が厄介だし、かといってCPU換装の簡単なこのRa300はメモリ増設が高く付く上に拡張スロットも少ない(お陰でGigabit Ethernetカードは当分棚上げである)しねぇ・・・

 つくづく、物事は上手い具合には行かないものである(溜息)。

 どこかにこのマシンで使える64MBか128MBのSIMMが(当然2枚組で)転がっていないものかねぇ・・・(爆)。

 ともあれ、これ自体は大変に結構な買い物であった(笑)。

 

西暦2003年3月14日 “復元”

 色々試した末、Ra300に移していた装備をRvII26に戻す。

 メモリ上限もさることながら、PCI/Cバススロットが各一本少ない事や、オンボードSCSIの有無といった周辺仕様の差はやはり無視出来ない、と結論した。

 ここ何年かPCIバス搭載98のデスクトップモデルは触っていなかったので、この辺が実感として理解出来ていなかったのだが、今回それが良く判った(苦笑)。

 ま、普通に使う分にはCHANPON3-PCIが存在するお陰でPCIスロット2本+Cバススロット3本でも何とかなる(それも今回判った)が、ケーブルの取り回しや排熱処理の問題を考えると、RvII26のフル装備をこのマシンに突っ込むのは無謀というものであろう(苦笑)。

 そんな訳で、Ra300は一旦元通りの仕様に復元してからメモリを16MBのECC-EDO DRAM SIMM 2枚を抜いて32MBのFPM DRAM SIMM 2枚に入れ替えて126.6MBにし、更に引き出しの肥やし扱いだったRevolution IV-FP for Macを挿して当面は実験機扱いとする事となった。

 無論、そのうち実戦仕様に仕上げて行く予定ではあるが、果たして何時そうなるのかは定かではない(苦笑)。

 ・・・マジでRvII26のITF書き換え何とかするしかないのかなぁ・・・(溜息)。

 

西暦2003年3月15日 “別れ”

 それは、いつもの様に録画した番組を観る為にMacを起動してからしばらくして、唐突に発生した。

 「何か焦げ臭い匂いがするよ」

 OSが立ち上がるまで席を外していた私に、母がそう声をかけた。

 言われてMacに近寄ると、万年花粉症による鼻炎で匂いに鈍感な私でさえ判別が付く程濃厚な、あの嫌な匂いが漂ってくる(汗)。

 ・・・Mac、燃えてる。

 私は大慌てで背面のコンセントを引き抜き、筐体カバーを外した。

 その途端、もわっと白煙が辺りに広がり、私は己の敗北を悟った。

 あかん、このマシン、手遅れや。

 見ると基板が黒こげになっていた。

 こうなってしまうと何が原因かは分からない(使い回して痛んだ内蔵SCSIケーブルも燃えていたので、これの劣化が原因の可能性が高い)のだが、ともあれ斯くして我が家唯一のMacは燃え尽きて廃棄処分と相成った(合掌)。

 ・・・ところで、ビデオ観るのどうしよう(大汗)。

 今更代わりのMacを買う気にはなれないしねぇ・・・(溜息)。

 

西暦2003年3月17日 “落とし穴”

 Ra300に取り付けるSlot 1用ユニバーサルリテンションキットを買おうと思って店に出かけるも見つからず。

 Ra300はSEPP版Celeron搭載なのであの時期のCeleron専用リテンション(実はこれが例の接触不良の最大の原因という話もある)が付いていて、そのままではPL-iP3/Tが挿せない為に欲しかったのだが、先日まであれだけ沢山売っていた筈なのに、近場には一つも見当たらなかった(涙)。

 ま、最悪Slot 1の新しめのジャンクマザボを買えば付いてくるモノではあるから調達が不可能になる事はまず無いと思う(この点はSlot 2とは違う)が・・・。

 

 そういえばウチでMacが燃えたのと前後して、Molice君のAT互換機も燃えたらしい(爆)。

 確か彼の所はウチと同じS2466N-4M、しかもAthlon MP1900+ Dualだった筈だが、ATX電源コネクタが半分ほど焦げた、という事は搭載電源の3.3/5V出力が足りてなかった/限界ギリギリだったのか、それともマザボ上にある12V入力(ATX12V仕様入力コネクタとASUSで言う所のEZ Plug相当のドライブ用5/12V入力コネクタの何れかが利用可能。ちなみにEZ PlugはTYANがASUSにAMD-760MPX搭載基板設計のノウハウを提供した見返りに使わせてもらったらしい)を繋げなかったかのいずれかの状態で連続運転していたのではなかろうか。

 昨日IRCでS-FANのかゆう嬢と話した時にも話題に上ったのだが、Athlonは3.3/5V系を馬鹿食いする設計なので、その動作時にマザボにはかなりのアンペア数の電流が流れる。

 IntelがPentium 4を出すに当たってATX12V規格を半ば無理矢理策定したのもこの高アンペアが問題になるのを同社が正しく理解していたからこそで、Pentium 4の様な狂気じみた大消費電力CPUを搭載したマザボの焼損を避けようと思えば、今のATX電源で生成できる電圧の中で一番電流量の少ない12V(意味の分からない人はジュール熱の計算式を調べてみるべし)で送ってマザボ上で必要な低電圧を生成するという考え方が正しいのは自明であろう。

 こういう状態が続くなら、その内16V入出力がAT互換機に導入されても不思議はないけど、ともかく、そのATX12V入力の利用を規定していないAthlon系では3.3/5Vの供給可能アンペア数がマシンの動作安定性を左右する事になる。

 よもや彼がそれを知らなかったとは思いがたいのだが、果たして真相は如何に?

 

 Athlonで思い出したが、良く考えてみるとThoroughbredコアは0.13μプロセスで、Parominoコアの0.18μプロセスと単純比較で約半分の面積になる(余談だがこれまでの半導体製造プロセスは常に前世代の約半分の面積で等価回路を組める様に進化してきた。0.13←0.18←0.25←0.35←0.5←0.7←1.0という一見不規則な数字の変化もこの値を自乗して1/2あるいは2を掛けたものを前後の世代の値の自乗値と比較すれば納得が行くと思う)訳だから、低発熱なのはある意味当然という事か(苦笑)。

 

西暦2003年3月24日 “サルベージ”

 文字通り燃え尽きてしまった(涙)、Power Macintosh 8500/132のHDDからデータをサルベージ。

 最初はMacエミュレータのBasilisk IIでATのASC-29160(そういえば書き忘れていたが、先日中古で出物を見つけて買った。これに伴い片チャネルの死んだASC-39160とAHA-2940UWを外し、2940UWはRa300に回した)に直接繋いだMacのFireball ST 2.1Sの中身を吸い出そうとした(Basilisk IIは直接実際のSCSIドライブをアクセスできる)のだが、いざ起動してみるとドライブはきちんと認識されてマウントもされるのだが、Basilisk II上で動いているOSが古いMac OS 7.6なのでPower Macintosh 8500のHFS+でフォーマットされたMac OS 9.1ドライブはアクセス出来ない事が判明した(死)。

 で、色々調べた末に、メディアヴィジョンのMacDrive 2000 体験版を入れて吸い出すという反則技がある事に気付いて実行。

 ちなみに、このソフトはやはりATで直接Macのディスクを読み書きするものだが、体験版をインストールしてみたところ、確かにディスクが読み書きできるがエクスプローラーが不安定になる(爆)という問題がある事が判明した。

 無論、読めない筈のディスクの中身を読めたのだから感謝してもし足りないのだが、いきなりフォルダで右クリックしただけでエクスプローラが落ちるというのは如何なものだろう?

 そんな訳で、このソフトは期限どころか読みだし完了と同時にアンインストールと相成った。

 

西暦2003年3月28日 “機材更新”

 Macが燃えてしまって以来見られなくなっていたビデオを見る為に薙澤君から譲受したMoster TVなるPCI TV/FM Tuner/Captureカードの実戦投入を実施。

 実はこのカード、ウチのマザボ(S2466N-4M)だと何も考えずにそのまま空きスロットに挿してドライバを入れたら、その場でWindows 2000が落ちる(爆死)という恐ろしい代物で、薙澤君から「スロット変えたりとかで戦わないとダメだったこともある」との助言を得て、色々カードを挿す順番を変えたり試行錯誤を繰り返した末、上から5番目(32bitスロットとしては3番目)のPCIスロットに挿して、オンボードのLANを殺せば正常に動作する(つまり、IRQの共有が発生するスロットは厳禁である)事が判明し、当分この構成で使い続ける事にした。

 ちなみに、このカードは彼によれば「動けば貧者のMTV1000と呼ばれたくらいには出るんですが」だそうで、実際発色や画質はなかなかに良好(少なくともPower Macintosh 8500/132のキャプチャよりはずっと綺麗だし、やはりチューナーもあった方が便利である(苦笑))である事が確認できた。

 まぁ、ウチの周囲は非常に電波状況が悪い(低電圧小容量とは言え送電線脇、しかも障害物が送信所方向に林立している)ので、ゴーストリダクション機能が欲しい気もするが、それは贅沢というものであろう(苦笑)。

 

 Moster TVとは別件で、EPSONのGT-9600というSCSI接続のA4フラットベッドスキャナを中古にて購入。

 SCSIという段階で少々古い事がお分かり頂けようかと思うが、これは今まで使ってきたGT-9000の後継機の一つで、発売当時のEPSONのハイエンド機種であった。

 まぁ、スペック的には今更だが、何よりWindows2000で使える(GT-9000はNT4止まり)し、四つ切り写真がこんな感じで読めたのでこれでOKである。

 ちなみにまだ試していないがオプションの透過原稿ユニットも付いていて、フィルムも一応読める様なので、良い買い物であった(笑)。


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