PC-1211

 その昔猛烈に憧れた、BASICポケコン第一号。会社での席替えの最中、電池が切れて忘れられていたのを拾ったという、ひょんなことから入手できたものです(その昔会社で買ったやつみたいなので、正確には「借りてる」んですけどね)。当たったり擦れたりしてそれなりに傷んではいますが、液晶も内部もきれいで、状態は良好です。

 で、「猛烈に憧れた」とは書きましたが、実は私の第一印象は「もしかしてバッタもの?」というものでした(笑)。だってですね、その当時のパソコン…というかマイコンってば、つまりMZ-80KにしろPC-8001にしろ図体は大きく、AC電源は必須で、とても電卓サイズに収まるものとは思えなかったのです。
 まぁ百歩譲ってBASICが動くとしましょう。そのBASICも、果たしてどれだけの機能を持ったものか、何せ表示は一行しかないんですから、これがMZなんかと同等のBASICとは思えませんよね。ポケコンを一番最初に見たのは新聞の夕刊の番組欄下の広告の、さらに枠で囲ったところだったのですが、怪しすぎる仕様に安すぎる価格(それでも中学生には出せないお金ですけど)を見て、どうしても信じられなかったところがありました(もし本当ならすごいとも思ってたのもまた事実なんですが)。

 それが何のきっかけで100%信じるようになったのかさっぱり憶えてないんですが、初めて見に行ったエレクトロニクスショーでプリンタとのセットを実際に触ったり、雑誌記事を見たりするうちに疑うことを忘れてしまいました。ポケコンがなぜ使える存在なのか詳しいところはPC-1251を入手するまでわかりませんでしたが、やはりその安さに似合わぬ立派なBASICに憧れるようになったわけです。といってももちろん一番はパソコンで、せめてポケコン…という優先順位ではありましたが。

 いくつかのサイトでは、ポケコンをpoorman'sパソコンと言い表すところがあるようです。私もそれはもっともだと思います。PC-1211で43000円、PC-1210で29800円というのはパソコンの値段と比べても五分の一から十分の一の安さ。お年玉でパソコンはムリでもポケコンなら、と思わせる価格といえます(私の少ないお年玉ではポケコンでもムリだったんだけど)。もっとも、ポケコンが本格的に高校生くらいにまで売れるようになるのはシャープでいうとPC-1245の登場以降のことだろうと思いますが。

 PC-1210/1211では小さい筐体を最大限に生かす工夫がいくつも見られました。そしてそれはその後の製品にも受け継がれていきました。それをいくつかご紹介しましょう。

  • 電卓代わりに使用できる。
 普通のBASICならPRINT文をダイレクトステートメントとして入力することでプログラムなしで計算させることができますが、ポケコンでは数式のみをダイレクト入力することで計算させられます。数字から始まる入力を数式か行番号か区別するためにRUNモードとPRO(PROGRAM)モードという動作モードを設け、RUNモードなら数式をそのまま計算するようにしたのです。モードがあるのは煩雑になる印象を持たれがちなのですが、内部処理を簡潔にできるほか、ユーザーにも誤操作防止という恩恵があるわけで、まんざら悪いことでもありません。
  • LISTコマンドは事実上不要。
 LISTコマンドはあります。でもそれは指定した行番号の内容を表示するのには便利ですが、頭から見たい時にはあまり意味がない。実は、コマンドを打たなくてもPROモードで上または下移動キーを押せばリストが表示されるのです。表示そのものも、普通のBASICのように自動でずらずら流れて行ってしまうと見にくいですから(一行しかないもんね)、上または下移動キーを押さないと行が変わりません。プログラム電卓のやり方を踏襲したともいえますが、使ってみると後の高機能BASICにあるEDITコマンド使用時みたいな便利さがあります。
  • 予約語の省略形がある。
 当時でもHuBASICにしかなかった機能、省略形。例えばP.と入力すればPRINTに置き換わります。キーボードが小さくてタッチタイプとか両手打ちとかできませんから、このように入力を楽にする仕組みがあるのは重要です。
  • ラベルがある。ラベルからプログラムをスタートさせる機能がある。
 これまた高機能BASICにしかなかった機能、行ラベル。分岐先にラベルを指定することができるわけですが、「定義付けキー」と呼ばれる機能により実装されていました。定義付けキーとはDEF+Aなどという操作でプログラムを実行するもので、この例だと"A"というラベルのある場所からプログラムがスタートします。PC-1210/1211ではモード切り替えによりDEFモードに入ってからラベルを指定しますが、後の機種ではDEFキーが追加されました。
  • 配列変数はなくとも、配列は使える。
 メモリが少ないせいもあったのか、PC-1210/1211には配列変数というものがありませんでした。ですが、AをA(1)、BをA(2)…ZをA(26)と対応付けて配列変数として扱えるようになっていました。苦肉の策といえばそれまでなんですが、同じ変数をある場所では普通のアルファベットで使い、ある場所では複数の変数をまとめてA(*)で扱うような使い分けも考えられます。ちなみに、A(27)以上も使えば自動的に定義されます。けっこう便利です。
  • 意外とデバッグ機能が強力。
 デバッグモードでプログラムを実行するDEBUG命令では、一行ごとに実行を止めてキー入力待ちになります。ちょうど普通のBASICのトレースモードと同じですね(後のポケコンではTRON/TROFFに置き換わった)。このキー入力待ち状態の時とか、普通に実行していてもエラーが発生した場合は上または下移動キーを押し続けるとその行が表示されます。エラー発生時はそのエラー箇所でカーソルが点滅するようになっています。さらには、PROモードに移って上または下移動キーを押すとエラー発生箇所のリストと発生場所が即座にわかります。デバッグ効率は普通のBASICに比べてもずっと高いです。
  • 電源を切っても消えない。使ってないと自動的に切れる。
 電子手帳とか使ってる今なら当たり前ですが、コンピュータと言われるもので電源を切ってもメモリの内容が残っているというのは画期的でした。しかもプログラムだけではなくて変数の中身までそのままで、定義付けキーでの実行は変数をクリアしないのでいつでもプログラムの実行を再開できました。もちろん、出先でプログラムを作成するのも特に外部記憶装置なしで安全に作業できました。

 単に関数電卓のプログラム機能をBASICにしたのではなくて、BASICを快適に動かすための研究をし尽くした上でのポケットコンピュータという商品であるといえます。

 この時期の液晶製品(時計は含まない、かな)の特徴は、黄色い背景の液晶です。どうもシャープ製品においては、PC-1210/1211に近い時期のドットマトリクス表示液晶に限り黄色液晶となっているようです。黄色そのものは別にシャープだけのものではなく、カシオにもそういう製品はあるようですのでメーカー固有の問題ではないと思いますが、では何が原因してこんな色になっているのかよくわかりません。まぁ液晶の世界はあまりにも深そうなので説明されてもわからんかもしれませんが。

 PC-1210/1211に限っては、オーとゼロの文字の形がちょっと違います。ゼロは後のオーと同じ形で、オーは右上にちょろっと飾りがあります(MEMORIESのところでわかりますね)。ちなみに表示はMEMコマンドの結果。ちょっと詳しすぎます。後のMEMはシステム変数になりステップとメモリーを合わせた数値を持つように変わりました。
 ディスプレイの右にあるのは、この当時のドットマトリクス表示液晶のシンボルマーク。2003年前半時点でいうところの、CGシリコン液晶のマークと似たようなものですな。このマークは黄色液晶の時代にしか見られないようで、すぐ使われなくなっています(といっても数年は使ってましたかね)。
 このときはハードケースでした。裏表に膨らむので、嫌われたんですかね。
 こちらはeBayで見かけた、PC-1210ベースらしい実行専用機。キーの一部を取り払って、残ったキーにも専用の刻印が入っているようです。日本国内でも見かけませんし、かなり珍しいのではないでしょうか。
 ただ、そもそも実行専用機の設定がなかったと思われる機種ですから、かなりムリヤリに仕立てているのではないかとも考えられます。例えば、隠れているキーなどは、とりあえずキートップを外した上でシールかなんかを貼り付けたようにも見えますし、オリジナルROMの製作をメーカーに依頼するにはコストが高くつきそうですから、これはプログラムをRAMに保持させた状態で売ったのではないかと予想しています。
 ただ、実行するにはRキーが打てなくてもDEFモードにできれば十分ですけど、万が一プログラムが消えたらどうすればいいんでしょう。カセットI/Fから読込ませるためにCLOADコマンドを打つためには、短縮形を使っても"CLO"までは打てないとダメで、"O"キーが隠れている仕様ではそれは不可能。むーん、やっぱり専用のROMを載せていたんだろうか…。

 まぁしかしBASICの仕様としてかなり貧弱なせいで、計算も単純なものしかできないのは困ったものです。特に16進数が全く使えないのは不便ですね。そこはプログラムでなんとかしようと思うのですけど、変数とかが使いにくくて…。まぁ会社にはPC-1403Hも持ち込んでますのでどうしてもだめな場合にはそちらを併用するようにはしてますけどね。
 ところで、長い間私はPC-1210/1211の直系の後継は液晶の桁やキー配列がマトリクス状であることからPC-1250/1251だと思っていたのですが、PC-1500も電源がボタン式である・テンキー周辺のキー配列はそのままという点で派生とは言い切れない気がしてきました。そんなわけでポケコン別館にある系統図もPC-1210/1211から二股に分かれて描くようにしました。


PC-1212

 古い電卓のカタログを見ていると、ある時期から以前は液晶が黄色くなっていることがわかります。なんでもこれはフィルタの色なのだそうですが、じゃあなぜフィルタが黄色いのかはやっぱりよくわからず…。
 シャープは、現在よく見る緑というか灰色の液晶に切り替わっていった時期に、液晶だけを交換した、末尾に’S'が付く型番の電卓を多数リリースしました。これは液晶以外元の機種と何も変わっておらず、そうまでして黄色液晶を終わらせなければならなかった理由などもサッパリ不明です。

 ポケコンでは黄色液晶を採用した機種は限られるのですが、ここで紹介するのはPC-1211の液晶を灰色のものに交換したPC-1212という製品です。他の製品と同様、液晶の色と型番以外に変化したところはありません。

 しかしこのマシン、見たことある人はおろか、存在を知っている人もあまりいないと思います。市場でのPC-1210/1211は、PC-1500が出た後はしばらく併売していたものの、PC-1250/1251の出現によって姿を消したからです。
 ところが、それは日本市場の話で、海外ではそうではありませんでした。PC-1251などよりも後、なんと1983年になってからリバイバルのようにこのPC-1212が発売されているのです。モデルチェンジ後に旧モデルを売り続ける理由はたいして想像できません。後ろ向きには部品の在庫処分というのがありますが、前向きには旧モデルが必要な一部ユーザー向けというのもあります。果たして真相はどこに…。
 ある意味違和感著しい、また別の意味では違和感ない表示…。
 PC-1211に対しては液晶の交換以外のハード変更を行っておらず、表示の濃さを調整するダイヤルがないのもそのまま。周辺機器の違いもありません。

 日本国内未発売品のはずですが、’Y'のシフト位置には¥マークが描かれてあって、TRS-80 PC-1で施されたローカライズとは異なっているようです。まぁ、海外のサイトで確認できるPC-1211にも¥マークはあるようですから、シャープの製品としてはローカライズはマニュアルのみに留まるのでしょう。
 おっと、ドットマトリクスディスプレイを誇示していたマークもありません。1983年頃ならば、もう使わなくなってましたしね。

TRS-80 PC-1

 TRS-80と言えば、パソコン黎明期において欠かすことのできない名機。アップル、コモドールと並び称されたタンディはメーカーとしても「御三家」として日本から熱い視線が向けられていたものです。そもそもの本体価格に加えて、輸入にかかる関税と輸送費用のためにとんでもない高級機になったばかりか、マニュアルを和訳したりサポートしたりという業者もほぼ皆無の状態では日本でユーザーを獲得することなど至難の業なのですけど、それでもMZ-80K・PC-8001・BASIC MASTERなどが一定のシェアを獲得するまではワンボードマイコンを卒業しようとしていたホビイストの憧れとなっていました。

 そのTRS-80のシリーズに、デスクトップパソコンではなくハンドヘルドのマシンがあることは知られざる事実の中でも有名な方でしょう(微妙に矛盾のある表現だが)。アスキーの西和彦氏と京セラの稲盛和夫氏が飛行機で偶然隣り合わせに座ったことをキッカケにしてハンドヘルド機の開発がスタートし、それをタンディに売り込むことでTRS-80 model100として600万台も売ったというお話。特に新聞記者によく売れたという理由が、すでに通信が自由化されていたアメリカで、出先で原稿を作ってモデムで本社に送るということが可能だったことです(「クライマーズ・ハイ」でもありましたが、当時の記者は本社に電話をかけて居残りの担当に口伝えで取材内容を送ってたんですね)。これはNECのPC-8201やオリベッティのM10というモデルとしても発売され、当時「ハンドヘルドと言えばエプソン」だった評価が一気にひっくり返ったような印象すらありました。

 さて、ここで紹介するのはさらに知られざる存在であるTRS-80ブランドのポケコン、PC-1です。見た目で分かるように、PC-1211のOEM製品です。液晶周辺で盛り上がっているデザインが少し異なるせいでイメージが変わって見えますが、実のところ種機との差異はその程度しかありません。

 TRS-80の"TRS"は「タンディ・ラジオシャック」の略であるということは何かで読んですぐわかったのですが、言葉の意味もろくに知らないがために、「タンディ・ラジオシャック」というパソコンメーカーがある、と長いこと勘違いしていたんですよね。当時説明してくれる人なんか少なかったですから…。
 タンディ・ラジオシャックはタンディ社の家電小売り部門で、当時3000店ものチェーンを全米と欧州・豪に展開していました。欧米系以外のメーカーなんかは、当然販売網を持たないわけですからラジオシャックで扱ってもらえると世界進出の足がかりになるわけで、売り込みも多かったようです。確かに、お店ひとつに10台置いてもらうだけで、3万台が出荷されるわけですからそれだけでもかなりのものです。

 シャープのポケコンがラジオシャックにてOEM販売されるようになった経緯は、おおよそ次のようです。

 ラジオシャックは自社企画品としてTRS-80 model1を開発し売り出しますが、それは当時ラジオシャックで最も高額な商品だったそうです。なのでもし売れなかったら店舗の事務用コンピュータに転用するつもりで、最初のロットを店の数と同じだけにしたのだとか。しかしそんな心配をよそにTRS-80は大ヒットします。

 ラジオシャックは売れる商品を常に揃えるため、世界各地にバイヤーを飛ばしていました。例えば在米日本企業のA&Aという会社はタンディの日本およびアジアの製品の購買業務を引き受けるというように、地域ごとに担当するバイヤーがいたそうです。その日本法人であるA&Aジャパンに勤める内海信二氏は、カシオの電卓をタンディに紹介するなど日本の家電メーカーとも深い付き合いがありました。
 内海氏は、売れてはいるが高額のTRS-80 model1の下位に、もっと安いコンピュータが据えられないか考えていました。あれだけ高い商品が売れるのだから、安くすればもっと売れるはず…。電卓とパソコンとの性能のギャップが念頭にあったのかもしれません。

 そこで、内海氏はシャープの佐々木正氏に相談を持ちかけます。佐々木氏はシャープの電卓事業のトップで、「彼の通った後にはものすごい多忙が残される」とか「発想が先へ進みすぎて誰もついて行けない」という評から「ロケット佐々木」の異名を取るほど強烈な人物像だったりします。
 佐々木氏は一通り話を聞くと、机の引き出しからとある試作機を取り出しました。それは、パソコンよりは圧倒的に小さく、でもBASICでプログラムを組めるちょっと大きな電卓みたいなもの。佐々木氏には「コンピュータと言うには中途半端だし、電卓よりずっと高価になる」ことから売れるかどうかわからないという印象があったのですけど、内海氏からすればそれはまさに理想的なマシン。「ぜひ売らせてください」と頼み込むと、それならと佐々木氏はいきなり担当に電話して「今から内海君というのがそっち行くから」とアポをとってつないでくれたのだとか。

 この時に内海氏が見た試作機はBASICが動くポケコンだったことは間違いないようですから、佐々木氏はPC-1200やPC-1300/1300Sという「ポケットコンピュータという名前を冠した製品」が取り立てて売れていない現実を見て、今回も似たようなものだろうと考えたのではないかと思われます。作り手側の気持ちとしてはユーザーがプログラミング機能をそんなに欲しているなら普通のプログラム機能付き関数電卓より強力な「ポケットコンピュータ」が売れてもよさそうなのに、そうでもない。だから例えBASICインタプリタを搭載したところで、佐々木氏の考えるコンピュータ像からするとまだまだオモチャなのだから状況が劇的に変わるようには思えない…。

 しかし結果はご存じの通りポケコンはヒットし、以後息の長い商品になりました。実はBASICを搭載することそのものがヒットの要因だったわけです。もちろんそれはパソコンのユーザー数が増えてきていた時代とマッチしていたからということもあるのですが。
 ともかく、その試作機は改良の後TRS-80 PC-1として、またシャープとしてもPC-1211として売られることになりました。ラジオシャックで相当数出るならついでに日本で売ってもよかろうということになったのかもしれません。おそらく内海氏が佐々木氏を訪ねて試作機と出会わなかったら、佐々木氏の判断でお蔵入りしていた可能性もあるわけで、まさに恩人と言えるでしょう。そしてカシオも、この成功を見なかったらFX-602P→FX-702Pというモデルチェンジを考えなかったかもしれませんし、他のメーカーも「トップメーカーが手を出さないということは市場性がないと判断しているのだろう」とか考えて東芝のIHC-8000(PASOPIA mini)みたいにちょっと色気を出してみるなんてこともなかったでしょう。

 その後タンディでは世代が変わるごとに新しいPCシリーズを発売していきます。電卓のOEMで元々先行していたカシオはPC-4から取って代わり、PC-8でシャープが巻き返しますがそこでシリーズ終了。

型番 OEM元 種機
PC-1 シャープ PC-1211
PC-2 PC-1500
PC-3 PC-1250
PC-4 カシオ PB-100
PC-5 FX-780P
PC-6 FX-790P
PC-7 FX-5200P
PC-8 シャープ PC-1246

 なお筐体とかに大きく手が入るのはPC-2までで、その後は銘板にTANDYとか入る以外のカスタム仕様にはなりませんでした。

 内海氏のエピソードを見てみるとPC-1があってからPC-1211があったような印象もあるのですけど、設計的にはPC-1211があってそれをPC-1へローカライズしたというのが正しそうです。それが証拠に、Yキーのシフト位置にあるはずの「¥」マークが刻印されず空白になっているのに、キーを押すと¥マークが入力できてしまいます。カナどころか英小文字も使えない時代ですから、この程度のローカライズで十分なんですな。
 裏面を見ると、いろいろ刻印されているのですが…いやに詳しいですね。"CUSTOM MFD. IN JAPAN FOR RADIO SHACK A DIVISION OF TANDY CORP, FT. WORTH TX76102"と書いてあります。
 話によると他メーカー製品であっても、OEM以外での販売は許さずあくまでTANDYブランドで売るという条件でないと契約できなかったそうです。その割りには、自分が作ったんじゃないですよ〜と言わんばかりの説明文。"MADE IN JAPAN"とだけ書いておけばいいものを…。

 なお、この文章はPC-8に至ってもそのまま書かれています。他の製品にも、本体や箱なんかにこういう文章が必ず入っていたんでしょうかね。
 さてこちらは、専用のケース。補強材入りのソフトケースです。
 端子カバー。私はこれがついているPC-1210/1211を見たことがないのですが、ハードカバーだったがゆえ失われているのも多いのだとか…。
 ソフトケースに印刷されているラジオシャックのロゴ。

※この記事は、ウィキペディアのTRS-80の欄と、日経エレクトロニクス誌連載「日の丸家電を世界に売った男」第1回第2回を参考にしています。

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